決定権は誰?

須田敏男

須田敏男

テーマ:生き方

 介護をしている私たち介護者は、被介護者の状態をよく知っていますが、福祉用具については、よく知らないため、福祉用具についてよく知っているケアマネージャーからの情報を得る事が多くなります。
 そして、得た情報を元に諸般の事情を考えて、利用する福祉用具を決めます。
 利用する福祉用具の決定権は私たち介護者になります。
 同じように買い物をする時、店員さんから、よい商品を紹介されても、決定権は買い物をする側にあります。

 強引に買わされたと思う時は、買い物する側よりも売り手側に決定権があったように感じます。

先日ある業者から、
「無料点検ですが、いつお邪魔したらよいでしょうか?」
という電話がありました。
 
 この電話の内容をよく吟味すると、既に訪問する事が前提になっています。
 
 本来であれば、訪問するかどうか合意で決めた上で、訪問日を決めることになりますが、その前提が抜けていています。
 決定権が、こちらにあるにもかかわらず、既に訪問する事がすでに相手によって決められてしまっていると受け止められる内容になります。

 決定権が、自分にあると安心できるのが私たちです。

 ところが、依存心が強いと、決定権を他者に譲り、他者の決定に従う事で安心することになります。
 
例えば、幼い子どもが親に従って動く事は、まさにこれです。
 それでも、その幼い子どもが、自我が目覚める頃になると、決定権を持ちたくなります。
 
 今まで、言う事に素直に従っていたのに、素直に従わなくなるのは、そのためです。

 これは、自我が目覚め始めた証拠になります。

 この事により、今まで決定権を持っていた親が、子どもに決定権を奪われることになります。

 子どもの成長を願いながらも、決定権を奪われる事に不満を持っていると、いつまでも子どもとぶつかる事になります。

 かと言って、決定権をただ子どもに譲るだけならば、わがままな子どもに育つ可能性が高くなります。
 そこで、決定に責任を負わせる事が大事になります。

 決定した結果には責任が伴う事を学ぶ事で、子ども自身が、決定権の重みをつかむことになります。

 子どもですから、始めから上手くいくことばかりではありません。
責任を負えず、失敗することもあります。
その失敗を繰り返すことも責任の重みを感じる上で大切な体験になります。

 私たちも知らない事があると頼りたくなります。そして、決定権を譲る事があります。

 しかし、大人である以上、どんな結果になろうとも、決定権を譲った責任が伴います。

 結果に不満を持ち、「だって、〜さんが決めたから。」などと言うのは、自立していない子どもの言い訳と同じです。

 身の回りに起きる出来事への対応の決定権は全て自分にあり、責任を負っていると考えると、すべの出来事が、他人事では済まなくなります。
 
・満足な食事
・安全な住まい
・安心な地域

 人々の努力に支えられている現実の社会が、目の前にあります。
 
 どれだけ、依存して生きている事が多いか気付かされます。
そして、見えないところで、多くの方に支えられているかがわかります。

 依存している事さえ気づかずに日々の生活を送っている人が多いように思います。
 まるで幼い子どものようです。

 今の社会の動きをみていると、現実の社会から目を背け、社会を変えていく努力をしないで、楽な方に流れているような気がしてなりません。
 コロナ禍を経て、ますますその傾向が強くなっている感じがします。

 私を含め、自立をしていない子どもばかりの世界のように見えます。

 このままでいいのだろうかと思うこの頃です。

 一人の自立した大人として、言い訳をせず、支えてもらっているところについては感謝をし、決定権を発揮できるところは、責任をもって対応していきたいと思います。

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須田敏男(メンタルヘルスサポーター)

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 最新の脳科学をベースにした「NLP心理学」を生かし、家庭への支援から働く人への支援と支援の範囲を広げ、悩みを持つ人の相談活動や企業向けの研修などにも幅広く対応。

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