利己心と利他心を使い分ける
懇親会がありました。自分の考えを主張しようと感情をむき出して、大きな声で話をされている人がいました。
「気持ちはわかるけど、そんなに大きな声を出さなくてもいいのに。他の参加者が驚き、会の雰囲気が悪くなる。」
と、思いました。
いろいろな会で発言され、声の大きい方だとは、分かっていましたが、このような場でも平気で大声を出される方なのだと思うと、少々幻滅しました。
私も声が大きくなる時があります。
子どもを叱る時、危険を知らせる時、願いを強く訴える時など、さまざまです。
意図的に大きな声を出して注目を集めようとする事もあります。
この事から考えると、大きな声が出せる事は、場に影響を与える事ができるので、リーダーの役割を果たす時に役立ちます。
ただ、大きな声を出せる能力があることを自覚して、使っているか、自覚せずに使っているかは、大きな違いがあります。
意図的に大きな声を出す事ができると、大事なことを大事だと伝える時に声を大きくしようとします。
意識せずに常に大きな声を出していると、うるさいと感じるだけで、意図が伝わりにくくなります。
リーダーは、話す内容や場に合わせて声の大きさを上手く使い分けているように思います。
声の大きさを場に合わせて使い分ける事について考える時、頭にふと浮かぶ風景があります。
よくファミリーレストランなどで、時々他の人がいても平気で大きな声で話をしている人を見かけます。
それぞれの席で会話を楽しんでいるのですが、大きな声が、会話を遮断してしまう事もあります。
そんな時、「もっと、小さな声で話してほしい。」と思います。
自分の声の大きさに無自覚で、その時の感情に流されて、声を発しているため、視野が狭くなり、周りへの影響に気づいていないようです。
それと同時に、自分の声の大きさを自覚し、場に応じた声の使い方を躾られ、身につけておく事はとても大切だと思います。
誰もがリーダーとなる可能性を持ち合わせていると考えると、とてももったいない姿だと思います。
日常生活の場面で、声を意識できる場面は、たくさんあります。
同じ部屋で勉強している人がいる時の声
図書館、美術館、映画館など静かな場所での声
喫茶店やレストランで会話を楽しむ時の声
公園や広場で遊んでいる時の声
用事があって、人を呼ぶ声 など
それぞれ声の大きさが異なります。
声を意識させる場ととらえて、躾られるかどうかは、育てる側の意識次第です。
私の教室にも子どもの中にも大きな声を出せる子がいます。自分の声の大きさを意識していない子もいます。
狭い教室の中で一緒に生活する時間が多いので、声について意識させる機会が多くなります。
声の大きさは、相手への気遣いや思いやりにつながると感じています。
思いやりのあるリーダーに育ってほしいと願いながら、子どもたちに声をかけています。