節目を作る
公園で、古くなった目印用の釘で怪我をする事案が報道されました。
誰がつけたかわからないため、管理者である市が、責任を負う事になったようです。
目印をつける事は、次回からの利用の際の負担軽減が目的だと思います。
目印をつけないように指導する事は、簡単ですが、それでは、目印をつけたい利用者からの不満が出てきます。
どのような対策を考えるのだろうと思っていたところ、その後の報道で、市が、怪我をしない材質の目印ならば、許可する旨の報道がありました。
この課題を上手く乗り越えたなと思いました。
別の市では同様の事案に対して禁止という対応をされています。
このことから、私たちに目の前に現れる課題をどのように乗り越えるかは、その課題と向き合う人の姿勢で、決まる事を改めて実感しました。
昔、公園にあった「ジャングルジム」や「ブランコ」などの遊具が、危険だからと次々と消え、公園の遊具が少なくなっていっています。
安全な環境の中では、危険を察知する能力を養う事はできません。危険が潜んでいる事が分かった上で、知恵を働かせる事が、上手く遊ぶ事に役立ちます。
公園で親が子どもを遊ばせるとき、「危ないよ。」「〜しなさい。」と声をかけて、見守られている子どもは、危険に気づき、危険を察知する能力を伸ばしていく事ができます。
また同時に、見守る親との愛情を感じる事ができ、安全を保ってくれる親がいるから安心して遊ぶ事ができます。
体験して初めて危険だとわかる事もあれば、教えてもらって危険だとわかる事もあります。
危険な場所には近づかない事は知っていても、ここに危険が潜んでいる事に気づかなければ近づいてしまいます。
今回の事案から、遊具だけでなく、グランドにも危険が潜んでいる事を知りました。
子どもを見守る愛情が、潜んでいる危険を察知する能力を養う力になると思います。
これは、市がする事ではなく、目の前の子どもを見守る大人の役目だと思います。
スマホに夢中になり、子どもから目を離してしまえば、子どもたちが、大人から愛情を感じる機会も危険を察知する機会も失ってしまいます。
危険はどこに潜んでいるのか分かりません。
体験を通して学ぶ機会が多い子どものために、見守り続けたいものです。