「忘れ」を防ぐ
父は、入退院を繰り返しながらも、何とか自宅で過ごす生活をしています。
最後まで、自分で建てた自宅で過ごさせたいとの私の思いもあり、独りでも過ごせるように自宅を改築し、父の部屋に介護用の部屋を設けました。
この部屋にトイレがあり、ベットから起き上がり、2mほど両手で手すりを使って歩けば、トイレまで行けるようにしました。夜は、介護用の部屋に泊まり、父と一緒に過ごすことになります。
硬膜下腫瘍の手術を3回行い、父の脳の様子をCTで撮った画像をその度に見せて頂きました。
血が溜まると、手足の運動機能が劣り、歩くことも、箸や茶碗を持つ事もできず、身体を支える力もなくなっていきます。
これが、救急車を呼ぶサインになります。
そして、頭に穴を開けて、血を抜く手術をすることになります。
その後、リハビリをし、体調がある程度回復して、自宅に戻る事になります。
術後の画像を見ると、高齢のため、十分に回復できず、やや影が残る状態でした。
ベットから起き上がることもしづらくなり、介護することも増えてきました。
ところが、3回目の手術の後の画像を見ると、高齢のためやや縮小した脳でしたが、血液の残りで影ができることなく、かなり鮮明に脳の形が映し出されていました。
帰宅後の、父の様子もかなり変わり、ベットから一人で立ち上がり、手すりを使って、トイレに行ってベットまで帰ってくる事ができるようになってきました。
それどころか、トイレの水を流す行動もでき、ドアの閉め忘れに気づき向きを変えてドアを閉めに戻ったり、部屋のドアを閉めたりと今まで私がしていたことを自分でやってくれます。
認知度はかなり下がっていますが、習慣として身につけた行動は、なかなか忘れないようです。この行動ができるうちは、まだまだ長生きできるのではないかと嬉しくなります。
CT画像と父の行動と重ねると脳の働きや人間の体の不思議さを感じることができます。
私たちの知らないところで、一生懸命に働いている脳の凄さに感謝の気持ちが湧き上がってきます。
「生きる」ではなく、「生かされている」・・・そんな感じさえ受けます。
父には、まだ生きる使命があるから、このような回復をしているのだろうと思います。
欲もなく、ただただ現実を受け入れ、食事の折には、時々、「食事はしたか。」と私を気遣う父です。
学ぶことの多い父の存在を感じながら、介護を楽しんでいます。