3人のレンガ職人の逸話
坂村真民(仏教詩人)の名言集に
日の昇るにも手を合わさず、
月の沈むにも心ひかれず、
あくせくとして一世を終えし人のいかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして過ぎゆく人のいかに多きことぞ。
二度とないこの人生をいかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなくうかうかとして、
老いたる人のいかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも告げ結う声のあることを知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。
を見つけました。
世の中には、豊かさを追い続けて、満たされていないと考え、「もっと、もっと」と求め続ける人が、多いように思います。
ものの豊かさだけでなく、心の豊かさも同様に考えているのかもしれません。
気づいていないだけで、実はすでに満たされているのかも知れません。
・病気で入院しているとき健康のありがたさに気づく事があります。
・怪我をして右手が使えない時、不自由なく右手が使えるありがたさに気づくことがあります。
・親を亡くした時、初めて親の存在の大きさに気づき、もっと長く生きていてほしかったと思うことがあります。
・就職して初めて家を出た時、不自由なく過ごせた家庭のありがたさに気づくことがあります。
など、不足、不便、不自由を感じた時に、初めて満たされていることに気づく事はよくあります。
当たり前のように過ごしているのも、実は当たり前ではなく、既に満たされているため気づかないのかも知れません。
そして、それらは、自分が全て揃えたわけでなく、既に揃えてもらっていたもののように思います。
自分の身体も与えられたものです。
それを使いやすくするために育ててもらったはずです。
身体だけでなく、自分の感情や思考も同じかも知れません。
それぞれの家庭に合った生きやすい生き方を身につけ、生きやすさに合った感情を湧き上がるように育てられたように思います。
時間厳守の家庭では、時間厳守にあった感情が湧き上がります。
綺麗好きな家庭では、綺麗好きに合った感情が湧き上がります。
身体も感情も思考も全て揃えてもらったものだとすると、自分は一体どこにあるのかと疑問が生まれます。
真民氏は、
真の人間になろうとするためには
着ることより脱ぐことの方が大事だ
知ることより忘れることの方が大事だ
取得することより捨離することの方が大事だ
と 言っています。
いろいろなものを纏い過ぎて自分が見えなくなっているかも知れません。
何を大事にして生きているのか、自分の役割は何かを考える機会になりました。