後悔は、後に役立つ?
4年ぶりに行われた総会の懇親会に参加しました。
なかなか会うことのない方々との出会いもあり、とても楽しい時間を過ごしました。
高齢者が多いため、話は、思い出や老後の生活や介護の話題が多くなります。
中には、若い方もいて、話をする機会がありました。
コロナの影響で、生活が一変し、人との関わりが少なくなり、それに慣れたためか、生活に潤いがなく、単調な毎日を送っているようです。
そのため、人生百年時代を迎えたにもかかわらず、
「つまらない生活で、楽しみがない。60歳ぐらいで、死んでもいいかな。」
と話されました。
こんな話を聞くと、大変辛くなり、何かできる事はないかと心配になってしまいました。
「楽しい」・・・これは、感情です。感情は、出来事への反応として現れます。出来事は、次々変化しているので、刹那的で、近視眼的になります。
次々と現れる出来事に一生懸命に取り組む事で、充実感を味わっていたため、コロナ禍の影響で、出来事が少なくなり、刺激が少なくなり、充実感を味わえなくなっているようでした。
私は、感情に振り回されて生きている事に気づいていないために、このように考えてしまうのだろうと思いました。
感情は、自分ではありません。過去の体験経験によって作り出された価値観や信念が、出来事に反応して、自動的に湧き上がったものです。
この感情に支配されているうちは、過去の自分を生きる事になり、自分らしく、今を生きていることではありません。
そこで、
「私たちには、生きる使命がある。その使命に生きれば、必ず充実した生活ができる。その使命が、見つかっていないだけだ。」
と、伝えました。そして、使命感をもって生活している方を紹介しました。
「必ず、何かあるはずだ。」と思いながら、話を続けました。
何となく、何かを伝えたがっている人に見えてきました。
笑顔で表現豊かに話す姿を見ながら、どんな使命をもって生きているのだろうと興味が湧いてきました。
これからも、関わりたい気持ちが膨らみ、思わず、名刺を渡してしまいました。