求められている自分
「教師による殺人」・・・・信じがたい報道がなされ、社会に大きな衝撃が走りました。
「非常に誰とでも穏やかに会話ができる教員です。 日常の勤務状況も良好で、校長の経営方針を理解し、特別支援学級の主任として、その具現化を目指した進言や提案をすることができています。担任としても、個を大切に、ひとりひとりの生徒に配慮した指導をしており、中堅教員として手本となっています。」
「子煩悩で優しい方という印象しかありません。移動手段はいつも自転車だし、近くで見かけるときもお子さんたちと公園で遊んでたり、ファミレスでご家族で食事していたり、ショッピングモールでお買い物してたりというごく普通の生活でした。」
本人は、犯行を否定している状況では、確かな事は、言えませんが、人間理解という観点から、冷静に受け止めるしかありません。
教師としての自分、父親としての自分、スポーツマンとしての自分など・・いろいろな自分が一人の人間の中にいることが、わかります。
私たちは、完璧にいい人でいる事など誰にもできません。
例えば、一生懸命に仕事をすれば、どこかで息抜きをし、お酒を飲んだり、美味しい食事をしたり、音楽を聴いたり、休養を取ったりして、身体や心を休めます。
人と上手く関わろうと一生懸命になって気を遣っていると、疲れ果ててしまいます。そんな時は、一人で過ごす時間を作ることがあります。
このように、私たちは、上手くバランスを取って生きています。
これは、誰から言われたからするものではありません。身体が自然に求めてくるので、その身体の要求に合わせて、改善策を考えて行動することになります。
身体の要求を無視して活動し続けていると、その反動が、身体や行動に現れてきます。
闇が強くなればなるほど、星の輝きも増すように、光と影で考えることができます。
光と影のように一方が存在するのではなく、必ず両方が同時に存在し、バランスをとりながら、私たちは生きていると考えることができます。
この両者のバランス.がとても重要です。
光が強くなれば、その分影が強くなります。
本来の自分より「よりいい人で居続けよう。」とすれば、無理している分、その反動として、影が強くなり、どこかで悪い人(誰にも知られたくない影が強くなった姿)を作り出すことになります。
誰にも見られたくない、知られたくない秘密を一つや二つは、誰にであると思います。「若気の至り」などと言われるものもその一つだと思います。
今回の事件は、「若気の至り」では済まされません。
影響が大き過ぎます。
私たちがもっている善良な意思が反映される中で、闇を作り出す事であれば、バランスを保つことができます。
バランスが崩れて、取り返しができないところまで追い詰めてしまっては、大変です。
この事件を通して、いろいろな自分が自分の中にいる事を自覚し、どの自分であっても大切にできるよう、日頃から無理せず、バランスを取りながら、生活することが大切だと改めて思いました。
亡くなられた方に心よりご冥福をお祈り致します。
信じがたい凶悪な犯罪が増えているように感じます。今の時代の影を見ているような気がします。
明るい未来を思い描きながら生きていきたいと思います。