習慣(挨拶)を身につける
子育てでも、介護でも、仕事でも、支える立場になった時に、手を貸すべきか、それとも、手を貸さず任せるべきか、どちらがよいか迷う事があります。
例えば、服の着脱1つでも、自分で着替えのできない子どもの頃は、手伝う事がありますが、そのうち子どもが、自分一人でできるようになりたいと、手伝いを拒否するようになった時点で次第に手を貸さなくなります。
ところが、介護では、自分で着る事が、身体を動かすよい運動になるので、できる限り自分でできる事は、時間がかかっても自分でやるように、見守る事があり、「手を貸さない」と判断する事があります。
仕事でも、後輩を育てようと、仕事を任せたとしても、初めからうまくできないので、手を貸しながら、自分一人でできるようになるのを見守る事があり、「手を貸さない」と判断することがあります。
仮に、このような時、「時間がないから。」「待てないから。」「失敗を避けたいから。」「支える人として無能な人と思われたくないから。」「失敗の尻拭いをしたくないから。」など、支える側のエゴ的な思いが、強くなると、つい手を貸す事になってしまう事があります。
支える相手の自立を考えると、時間がかかっても、失敗しても、それが体験となり、生きて働く事は間違ありません。
それでも、失敗して自信をなくさないか心配だからと手を貸してしまう事があります。
ただ、これも支える側の思いが反映されます。
「失敗をしても、大丈夫だよ。」「失敗したから、学べた。」になれば、自信をなくす事には、なりません。
しかし、
「失敗は許されない。」「言う通りにしないから失敗した。」「困った事だ。また失敗して。」などと失敗を責める事になれば、自信を失ったり、依存が強くなったりします。
また、迷う事なく、当たり前のように手を貸していると、
「なぜ、手を貸してくれないの。」「手伝ってよ。」と、手伝うことが、当たり前になる発言が、支える側から聞こえたり、支える側を批判したりする姿になります。
このように考えると、
「手を貸す」「手を貸さない」と、迷うこと自体、相手の自立を考えている姿の現れと考える事になります。
その上で、いかに自分のエゴ的な思いを抑えて、相手の状態に合わせて、「手を貸す」「手を貸さない」の判断できるかが、鍵になります。
相手の自立を願って焦った対応をすると、今度は、相手に負担感を感じさせるだけで、相手の自立を妨げる事につながりかねません。
すべ、相手次第になります。
だからと言って諦めることではありません。
相手を見守り、愛情を注ぎ続けていると、「手を貸す」「手を貸さない」を決断するタイミングが見つかります。
これは、本気で、相手の自立を願っているか、試される瞬間でもあります。
また、「自立は無理だ」と思い込んで、自立を妨げていないか、自分を見つめる機会にもなります。
互いに助け合って成り立つ人間関係です。対等な立場になっている時にこそ、自立した人間関係を築く事ができます。
支える立場は、役割であって、上下関係を作ることではありません。以前は、支えられてきた自分でもあったはずです。
役割を果たし、次に繋いでいくだけと考えれば、責任が和らぐと思います。
支える側になった事を、学びの場を与えられたと捉え、このチャンスを生かそうと、楽しんで役割を果たすことが、ストレスを減らす事にもなります。