知らないことさえ知らない
戦没者追悼式の式辞の準備を始めています。
式辞を書くに当たって、いろいろな式辞を読みながら、式辞を読まれる方の思いに触れています。
これまで、式辞を聞く立場で参加する事が多く、式辞についてあまり深く考えていませんでしたが、式辞を書く立場になると見える世界が広がる事がわかります。
式辞を書くことは、時代を超えて長期的視野から、物事を考える機会になると思いました。
特にロシアのウクライナ侵攻が長期化している今、戦争は、他人事では済まなくなっています。
戦争体験のない私にとって、平和のありがたさを今程実感できる時はありません。
そして、この平和が、戦争の犠牲の上に築かれている事をこれまで、あまり意識した事はありませんでした。
必死に生きてきた人々の努力の結晶が今の平和につながっています。
その流れを引き継いで、生きている私たちが、どのように生きることが平和を維持する事になるのか、真剣に考えなければなりません。
私たちの心が平和である事が、まず第一のように思いました。
自分の心の中にある葛藤が、対立そのものです。
身近な人との対立、家庭での対立、地域社会での対立、職場での対立、さまざまな対立を生み出す元は、すべて一人ひとりの心の反映に他なりません。
どのような心持ちでいると平和な心持ちでいられるかを考えてみます。
自己主張をし過ぎていると、対立が生まれる事がわかります。
かと言って、相手の考えを受け入れてばかりいると、自分の中に葛藤が生まれ、平和な心持ちではいられません。
互いに自分の主張を通そうと一歩も譲らないうちは、対立が生まれます。
また、少しずつ歩み寄ったとしても、歩み寄った分、心の内に葛藤を作り出す事になります。
(譲りたくないけど、仕方ないから我慢している状態)
両者を生かした新しい考えを生み出さない限り、いつまでも対立が続き、平和な心持ちで生きていくことは難しいように思います。
互いのよさを生かした新しい考えを作り出す事はできないか
ここがポイントのように思います。
相手を理解し、相手のよさを認めること
相手のよさと自分のよさと融合できないか考えること
新たな考えを具現化する事
こんな取り組みができれば、平和な心持ちで生きていけるように思いました。
そして、これは、中庸とか、正反合の「合」に当たる生き方のように思います。
・相手を否定していないか。
・自己主張をばかりで、相手を受け入れる余地はあるのだろうか。
・相手のよさを理解しようとしているだろうか。
・相手のよさを取り入れられないか、考えているだろうか。
まずは、自分の心の中にある葛藤を減らす生き方をしていこうと思いました。