コロナ禍での習慣
「卒業おめでとうございます。中学校に行っても、自分らしさを生かし、充実した毎日を生き抜いてください。」
私が卒業生に送ったお祝いのメッセージです。
「自分らしさって何?」と疑問をもつと、脳は、勝手に「自分らしさ」を探しに行きます。
わからない事を嫌う脳は、答えが出るまで探し続けます。
私自身、今だに「自分らしさ」を探し回っている感じです。
自分の中には色々な自分がいます。
これを「色々な顔」と表現する人もいますが、仕事をしている時の自分は、顔だけでなく、言動も仕事に合ったものになります。人格をもった一人の人間としての自分がいます。
その自分は、家庭にいる時の自分とは全く別の自分です。家庭にいる時の自分は、家族の一員としての役割を担っている自分ですから、これも仕事をしている時の自分とは全く異なる人格をもった自分がいます。
このように現れる場面によって全く異なる自分がいます。
環境によって変わる自分は、自分ではあっても本当の自分ではないように思います。
少し深く掘り下げて見つめて見ると、異なる自分であっても、何となく似ている所が見つかります。
取り組む姿勢であったり、志向であったりします。生き方かも知れません。
でも、それが、先祖代々から脈々と流れる風土や文化、過去の体験や経験から学び取った叡智だとすれば、それも本当の自分ではないように思います。
自分らしさって何だろうと深く探って行くとまだ先に何かが見つかるような感じがします。
本当に大事にしている事は何だろうと試行錯誤しながら生きているところに自分らしさが表れているように思います。
一人の人間として、そんな自分を見つけるための営みを送る事ができれば、目の前に起きるさまざまな出来事に振り回される事なく、生きていけるのではないかと思いました。
対等な一人の人間としての心の叫びを、精一杯の声で話しました。
子どもたちに伝わるといいなあと思いながら、式に臨む子どもたちの姿に感動していました。