夫婦生活を振り返る
ソフトバンクの孫正義さんの名言に
「脳みそがちぎれるくらい考えろ」
があります。
これは、企業を経営することだけでなく、あらゆる課題に役立つ考え方だと思っています。
脳は、空白を嫌い、必ず埋めようとします。空白があるうちは、どんどん情報を集め続けます。
例えば、
・社会人になって就職活動をする時に、「自分に合った職業は、何だろう。」と脳に空白を作ると、新聞を読んでも、街を歩いていても就職情報が気になり、どんどん空白を埋めようと脳が働いてくれます。
・すまいを決める時も同じように「どんな家に住もうか。」と空白を作ると、住まいの情報が、どんどん飛び込んできます。
家を建てる時なら、間取りや内装、家具など様々な情報を、空白が埋まるまで集め続けます。
・子どもが算数の難問に出会った時、「わからない」という空白を作った時、正解が見つかるまで追求し続けます。諦めて、解答を見るのも空白を埋めるためです。
・身近なところでは、「今日の昼飯は何にしよう?」「今日は、何を着ようかな?」なども、決まるまで脳が情報を集めてくれます。
このように、私たちの脳は、空白が埋まるまで、情報収集してくれます。
簡単に空白を埋めることもできれば、なかなか空白を埋められないこともあります。
それは、問題へのこだわりの強さによって異なります。
孫さんが「脳みそがちぎれる程」と言う言葉の裏には、よりよいものを求めるために「これでいいか。」と常に空白を作っておく事を言い表しているように思います。
人間関係の問題でも、地域の問題でも、抱えた問題を意識し、空白を持ち続けるうちは、脳が働き続けてくれます。
私が、このコラムを書き続けられるのも、「今日は、何を書こうか?」と空白を作っているので、脳が、答えを導き出してくれるまで情報を集めてくれているからです。
ふと浮かんでくる感じです。
これは、誰もがやっている事ですが、あまり意識されていないかもしれません。
感情に流されて安易に空白をを埋めるか、それとも深く考えて空白を埋めるかも、選択する自分自身にかかっています。
ふと学生時代に失恋をした時の事を思い出しました。
別れの理由も告げず、去った彼女に対して、「なぜ、彼女は、私を振ったのか?」という空白を3年間持ち続けました。
彼女から離れられず、彼女の役に立とうと必死にくらいついていた自分がいました。
卒業前に彼女から、きちんとその答えをもらい、「愛ではなく、恋だったんだ。」「愛と恋との違いに気づかせてくれた。」と空白が埋まった時に、彼女から離れることができました。
苦しい3年間だったけれど、苦しんだおかげで、大きな学びを得たと思っています。
空白があると、もやもやして落ち着かず、感情が湧き上がってきます。
人によっては、その感情が、苦痛であったり、怒りであったりします。
そして、私の失恋話のように空白が埋まるとその感情も消えていきます。
脳の働きをうまく使えば、もっと生きやすくなるように思いました。
例えば、不満がなかなか消えない時、不満から生まれる感情とは切り離し、空白を埋めるためには、どんな情報が集まれば、よいのかをじっくりと考えてみます。
夫婦喧嘩となるきっかけはきっと些細な事ですが、感情が湧き上がると、その感情に引きずられて同じような体験が思い出され、相手を否定し始め、次第に大きくなり喧嘩になります。
些細なきっかけのうちに空白を解消すると喧嘩に発展することはないと思います。
例、
最近の夫婦の会話
私「これ読んで。マスクを外す生活になりそうだ。」
妻「何を言っているの。あなたは、つけないとダメでしょ。」
私「いやいや、新聞に書いてあると言っただけだよ。これから社会がどうなるのか、話をしたかっただけだよ。」
埋めたい空白は、「これからの社会はどうなるのだろう?」です。ところが、妻は、この話から私がマスクをつけない生活をすると思い込みました。
もし、私が、妻の言葉に反応して、「僕の事を理解してくれていない。」と不満を持ち出すとこれまでの夫婦生活から、似た情報を探して妻にぶつける事になり、喧嘩に発展する可能性があります。
空白を埋めるための言葉を返す事で、妻も私を責める事はありませんでした。
今回は、空白をうまく埋める事ができたと思いました。
いつもうまくいくことばかりではありません。でも、空白をうまく埋める事で、生きやすくなる事は確かです。
今、私の中の頭の中には、「住民が、多く集まる市民運動会にするには、どんな形にすればよいのだろうか?」と言う空白があります。
こちらは、簡単に空白を埋めず、「脳みそがちぎれるくらい考えたい。」と思います。