磨いて生かす
鬼ごっこをしている子どもたちがもめていました。
話を聞くと、鬼が一人の子ばかり狙っていて楽しくないというのです。
そんなつもりはないと言い張る鬼とその通りだと言う子どもたちの言い争いでした。
夢中になっていると次第に視野が狭くなり、周りと調和が取れているか見えなくなります。
調和が取れている時は、もめることがありませんが、それが崩れた時にトラブルが発生します。
今回は、追いかけられ続けた本人が、問題を指摘し、それに同調した友達が鬼に訴えました。
「そんなつもりはない。」と言った鬼ですが、
もしかすると、鬼が誰も捕まえられなくて、特定の子だけをねらっていたのであれば、鬼がつまらないと言い出してもよかったことかもしれません。
弱音を吐くことなく、ねらい続ける粘り強さがあるためにつまらないとも言わなかった鬼のように思います。
このように考えると、調和が取れなくなると、弱いところが犠牲となって内在している問題が表面に出てきたと考えることができます。
例えば、空気を一杯詰め込み過ぎた風船が割れる時やひもを強く引っ張り過ぎて切れる時、積み木を積み重ねて崩れる時と同じように弱い部分から崩れていきます。
私たちの社会でもこれと同じことが起きていると考えることができます。
個々の問題ではなく、場そのものに問題がある時に、場の問題ととらえず、個々の問題にしてしまうと同じような問題が、別の形で出てきます。
私たちが抱えるストレスも、もしかすると、個々の問題ではなく、場に問題があり、調和が取れていない事を知らせてくれるシグナルかもしれません。
ストレスを感じた時、個々の問題ととらえるのではなく、「場に問題はないか」ととらえてみると自分を犠牲にしなくても済むかもしれません。
子どもたちが、鬼ごっこを継続せず、中断し、話し合いの場を作った事に敬意を表し、
「仲良く遊ぼうね。」
と伝え、しばらく鬼ごっこを見守る事にしました。