子ども庁創設に思う(家庭教育の見直し)
新聞の記事に「変わる部活」と題した記事を見つけました。
そして、その中に
「学校よりも地域の方がいろいろな仕組みを作ることができ、自分に合ったものを選ぶ事ができる」
という教育委員会の発言を見つけました。
その通りだろうと思いますが、大事な事は、その場で誰が指導するのかということです。
子どもたちを育てる教育の場は、学校教育、家庭教育、社会教育の3つの場と考えられます。
子どもたちを育てる力の強い順で考えると、学校教育→家庭教育→社会教育となります。
社会教育は価値観が異なる人々への対応が求められるため、教育力を発揮する場面が限定的となり、学校教育と比べるとかなり教育力は低いと思います。
地域に任せる事は、この教育力の低い社会教育に期待する事になります。
地域の教育力が高くなれば、保護者の方は、安心して子どもたちを地域に任せる事ができると思います。
任せられないと思うから、力のある学校に頼ることになります。
学校は学校で新しい教育に対応するために慌ただしく動いています。そのため、なかなか本紙のような保護者の困りごとへの対応ができない状況だと思います。
そして、記事の中の保護者の発言のように「先生のために致し方ない」と我慢することになります。
犠牲になるのは、いつも子どもたちです。
これまで、歪であったにせよ、人間教育の場としての学校教育があったため、犠牲を犠牲とは思わない教師(子どものためにと自己犠牲してきた教師)に支えられ、守られながら、子どもたちは、育つ事ができました。
しかし、今はブラック企業と批判を受け、子どもたちを守るための努力を裂くことになった教師も多いと思います。
そして、その肩代わりを地域に負わせる事になってきたように思います。
家庭と地域のつながりが強かった時代ならばまだしも、今は家庭と地域の分離が進み、その関係は希薄になっています。
その地域に子どもたちが投げ込まれる事になります。地域との関係に不安を抱えていれば、そんな所に子どもを放り込む事はできないと思います。家庭でできることしか、子どもにしてあげられません。
益々家庭が孤立してしまいます。
子どもたちに愛情を注ぎ込む親が、安心して子育てを任せられる場が次第に少なくなっていく感じがします。
地域にも子どもを育てる教育力があれば、安心して子どもを預ける事ができます。
安心して子育てができるためには、地域の教育力を高める事が急務だと思います。
時代の流れをかえることは、なかなか難しいと思います。
ですから、地域の一人として、目の前にいる子どもたちのために出来ることをするしかありません。
そして、子どもたちが犠牲にならないように子どもたちを育てる気概をもった地域の仲間を増やしていこうと思います。
これらの事から考えてみると、今行っている、学校を巻き込んだ挨拶運動がとても大事な活動に思えてきました。
学校教育を課題を指摘したり、地域の教育力の低さを嘆いたりする暇は私にはありません。
学校の期待に応えられる努力するしかありません。
そして、子どもたちのために、今出来ることをするしかありません。
それは、目の前にある標語の束(313枚)を整理することです。
標語に込められた子どもたちの温かく純粋な思いに応えられるような挨拶運動を続けたいと思います。