利他心が働く時
新年を迎え、近所の神社へ初詣に行きました。歩きながら、家々の玄関を見ると、正月飾りをされない家庭が増えてきたように感じました。
新年の迎え方も多様化してきた時代の現れとは思いますが、どんな時代になっていくのか心配になります。
先が見えないからこそ、自分を大切にしなければならないと思います。
不易と流行という言葉があるように時代の変化と共に変わっていくものと、時代が変わっても変わらないものがあります。
時代の流れの中で、自分を見失っては、生きることに疲れてしまいます。
生き甲斐のある人生を歩むことは「不易」に当たると思います。
ある番組で、鶴瓶さんが、厄除けでお参りを終えた青年に次のような言葉を語られました。
・「嫌なことはいい事が起こる前ぶれ、嫌な事は全部ボーナスポイントと思ったらいい。後で返ってくる。」
・「運を見つけたらいい。運は自分の生き方によって開いていく。自分の生き方が悪かったら運は開けない。全て自分の生き方やねん。」
生き甲斐とまではおっしゃっていませんが、日々の生活の大切さを語られているように思いました。
(生き方は、その人から醸し出されるものばかりでなく、その人が創り出す環境にも現れます。生き方は、日々の生活そのものです。)
今は、感情の時代ですから、心地よさが安心につながります。
しかし、その分、辛さや苦しさなどは、負ととらえ、避けようとする傾向があります。
この負をボーナスポイントととらえ、乗り越えよと諭す鶴瓶さんのように生きることができれば、負は負でありません。
辛さや苦しさを乗り越える耐性を強くする事が、自分らしさを見失わずに生きる事になると思います。
感情は、自分ではありません。
感情をコントロールするところに自分がいます。
感情をコントロールする意思を発揮してこそ自分らしさが現れると思います。
日々の生活の中に選択する機会は沢山あります。その選択の殆どが、感情に流されているように思います。
やりたいからやる。
見たいから見る。
聴きたいから聴く。
感じたいから感じる。
味わいたい(食べたい、飲みたい)から味わう(食べる、飲む)。
こんな生活に慣れているように感じます。
「ちょっと待てよ。」と感情をコントロールする役目を果たす意思を働かせる機会が少ないように思います。
正月飾りについても、飾りたくないから、飾らないという選択は、感情に流された選択になります。
「ちょっと待てよ。」と止め、負を負ととらえず、負の中に正を見つけた上で、飾る飾らないを選択する事が、意思を働かせたことになります。
私たちは、こんな面倒なことをしないで、生きているように思います。
ただし、生き方は、この面倒なことの中にあります。
負を正(ボーナスポイント)とらえる鶴瓶さんは、意思を働かせた生き方を示されたように思います。
日常生活をみると、選択する分岐点にいつも立たされていることに気付きます。意思を発揮する場面では、背筋がピンと伸びます。
苦手なことや不得手なことを避けないで、意思を働かせて、挑戦してみようと思いました。