リーダーになりきれない
人生100年時代を迎え、退職後の人生が長くなったと考え、何をしようかと戸惑いを感じている人がいます。中には、できなかった事に時間を費やす事ができるようになったと楽しみにしている人や、一途に自分の道を極めようと取り組んでいる人もいます。
どうも、残りの人生に何か目標をもって、生き続ける事に意味がありそうです。
中には、終活を始め、死と向き合う時間を大切にする生き方を選択される人もいます。
いずれにしても、どう生き、どう死を迎えるかという自分の人生を見つめる事になります。
昨年母を亡くし、母の死と向き合った体験から、残りの人生を考えるヒントを得たように思います。
一番強く心に残っている事は、
「人間は、体は滅んでも、生き残った人の中に生き続けることができる」という事でした。
いわゆる終活を考えていなかった母の遺産の整理などで、多くの時間を費やす事になりましたが、私にとって、それはあまり重荷ではありませんでした。
心に残った母と共に生き続けている事に充実感があり、遺産の整理も母と過ごす時間のように感じていました。
物事に始めと終わりがあるように、私たちの人生にも始まりと終わりがあります。
肉体を持って生きる事の終わりは、心の中で生きる事の始まりのように思います。
人の心に残る生き方を始める準備が、残りの人生を生きる時に役立つように思います。
対象となる人の数は、人によって異なります。
伝記に残る人物のように多くの人の心に残る人もあれば、家族や限定された職場や地域の人の心に残る人もいます。
「どんな自分を、他人の心の中で生き続けさせたいのか。」・・・自分らしい生き方を考える事になります。
人の心に残るためには、残したい人に役立つ生き方でなければ、残りません。
この事は、いわゆる「他人のために」という利他の心で生きることになります。
つまり、他人のために生きることが、死後の自分を生かす事にもなるということです。
この事を考えると、自分らしく生きることが、他人の役に立っているのであれば、これほど幸せな生き方は、他にないと思います。
書きながら、「利他の心」で生きた稲盛和夫さんの素晴らしさを改めて、実感しています。
同時に、「私は、どれ程の人に役立つ生き方をしているのだろう。」と自問自答する事になりました。
地域の老人クラブ福祉大会で、祝辞を述ベさせていただく機会が生まれたおかげで、このように自分を見つめる時間を得ることができました。
感謝、感謝。