身体に聞く
今朝、新聞を読んでいる妻に、
「今日のコロナ感染者数は、何人かな?」
と、尋ねたところ、
人数についての返答がなく、私の危機意識の弱さへの不満が爆発したかのように、
・外で子どもと遊ぶ時に、マスクを外すこと
・大声で話をすること
・リコーダーを吹くこと など
これでもかというほど次から次へと出てきました。
話の展開が私の思いとは大きくずれ、その迫力に圧倒されながらも、笑いを堪える事ができず、クスッと笑いながら、
「お母さんは、凄いなあ。いろいろ考えていてくれていたんだ。びっくりした。」
と、話しました。
すると、
「子どもを預かっているのだかから、もっと気をつけてよ。」と注意されました。
私なりに配慮しながら、対応しているのですが、妻からすると、配慮が足りない私に映っている事が、よくわかりました。
2人でやっている子ども預かりの事業です。
役割分担をしたわけではなかったのですが、今は、消毒、換気などは妻が中心に行っています。
毎日行っているため、安全意識が私よりも高くなっているのかもしれません。
妻の努力のおかげで、これまで、何事もなく事業が進められてきたと思うと、感謝の気持ちが沸々と湧き上がりました。
「ありがとう。わかったよ。」
と、伝えました。
笑い出した自分だったためか、妻の小言が柔らかく感じ、刺々しさを感じる事なく、素直に受け入れている自分がありました。
ーこの事例からわかる事ー
他者から指摘される弱点や欠点は、なかなか受け入れがたいものです。それを非難されていると思うと受け入れにくいのですが、一緒によりよい姿を目指していると考えると受け入れやすくなります。
受け取る側の受け入れ方によって、指摘が、悪にも善にもなる事がわかりました。