真実は一つ?
最近、生き方に関わる本を読む機会が多くなりました。
心の時代と言われながら、これほど変化が激しいと、生活に追われて、心よりも物への執着が強くなる感じがします。
節約する
消費を控える
物の遣り繰りをする
これらは、すべて物への執着から生まれた行動のように思います。
心は見る事はできません。行動の裏側に隠れた意図から、心を探ることになります。
上述の行動の裏側に隠れた意図を探ってみると
節約する→物が少なくなったから
消費を控える→収入が減ったから
物の遣り繰りをする→もったいないから
かもしれません。
もしもこの意図であれば、物への執着から生まれる行動と感じます。(物の豊かさを追う時代の名残りかもしれません)
ただ、「もったいない」については、物を大切にしたいという思いならば、心を感じます。
この場合、今の時代の変化とは関係なく、どんな状況でも揺れ動くことなく、物を大切にする行動を取ることになります。
(物に対する思いやりの心を感じます)
強い風が吹いても倒れないように根を張った樹木のように。
ここには強い意思を感じます。
時代が変わろうとも変化せず、持ち続けるところに心を発見できるように思います。この時、必ず意思が働いているようです。
あの人からは、思いやりを感じる
あの人からは、責任感を感じる
あの人からは、美しさを感じる
あの人からは、謙虚さを感じる
あの人からは、誠実さを感じる など
どうも私は、よりよい生き方を行動し続けるところに、心を感じます。
そして、その心が、刺激となって、私の興味や関心を引き起こしててくれるように思います。
コロナ禍で、最前線で活躍する人がいます。
SDGs に真剣に取り組む人がいます。
地球温暖化に歯止めをかけようと必死になっている人がいます。
このような人と比べると、私は、ぬるまの中で生活している感じがします。
強い意思を持って自分を磨き、「あの人からは、◯◯を感じる。」と言われる生き方をしたいなあと思いながら、「生き方の教科書」(致知出版社)を毎日1話、読んでいます。