今を生きる
月間誌「致知」11月号の中で、片岡鶴太郎さんは、
「僕は、子どもの頃から、心の奥に響いてくる魂の声のようなものを大切にしてきました。僕はこれを「腹の主」と呼び、道を選ぶ時にはいつも「腹の主」が喜ぶ方を選んできました。」
と、語っておられます。
先日テレビに出演された時には、独特な日課を過ごされていることを紹介され、修行僧にも見えました。
自分にとって今何をすることが大切なことなのかを「腹の主」に尋ねられた結果が、今の生活を作り出されたのだろうと思いました。
我が身に振り返って、今すべきことを判断する時、何を頼りに判断しているか、考えてみました。
・身体の反応
「疲れているから」「腰が痛いから」「腕が上がらないから」「重いものが持てないから」「嫌な匂いがするから」「美味しいから」など
・感情の反応
「楽しいから」「面白いから」「嬉しいから」「辛いから」「怖いから」「苦しいから」「哀しいから」など
・思考の反応
「〜する義務があるから」「〜の得になるから」「〜する役に立つから」「責任があるから」「儲かるから」「〜と◯◯が言うから」「みんながしているから」など
「腹の主」は、これらとは全く異なります。魂の声とは、何かを鶴太郎さんの文章から探り、自分なりに考えてみました。
・魂の反応
「本来あるべき姿が求めるから」「導く力に引かれるから」「何となく感じるから」
自分を超えた存在が自分の中にあり、その意思が導いているように感じます。
そして、この存在は、誰にでも備わっている感じがします。
仏壇の前で毎日唱えている、お寺からいただいた文の中に「仏性を有する我が身」という文言があり、仏教でも同じように考えられているのかとも思いました。
変化の激しい時代に振り回されて生きている私たちですが、「腹の主」を意識しながら、自分のあるべき姿を大切にしたいと思いました。