神様に導かれている?
夏休みが無事終わり、朝からの子どもたちの来室がなく、ほっとしています。
コロナ禍で同じ部屋の中で過ごす時間が多く、三密を避けるため、換気、消毒には、十分注意をしてきました。しかし、1日生活しているとどうしても、遊び時間が長くなり、距離が近くなってしまいます。
マスクをつけながらの遊びですが、放っておくと次第に声が大きくなったり、接触したりするため、目を離せません。
子どもたちの遊びを見ていると、「今を楽しんでいる。」とつくづく思います。
遊びに不足の物があれば、椅子や机が代用になり、紙で作ったり、絵を描いたりします。それでも代用するものがなければ、あたかもあるかのように、仕草でそれを補います。
子どもたちの豊かな創造力を目の前にしながら、純粋に楽しむことの素晴らしさや純粋に楽しんでいない自分に気付かされます。
「ここで思いっきり楽しむと体力的にもたないから、次の事を考えて控え目にしておこう。」
「明日起きれないと困るから、ここまでにしよう。」
などといつも控えめに楽しんでいるように思います。
多くの事を配慮しながら生きていく事に慣れてきたからだろうか?
一つの事にエネルギーを費やせないと考えているからだろうか?
他人からどのように見られているか、気になるからだろうか?
など、いろいろな考えが、頭の中で巡っています。
きっと、心から楽しみたい事が見つかっていないからかもしれません。
心から楽しめる事を見つけ、創造力を発揮し、子どものように今を楽しみたいと思いました。