一緒に仕事をする事
日頃の子どもたちの会話の中に、「死ね」「消せ」などと人の命を軽々しく扱う言葉が見られます。
子どもたちは、環境の影響を受けることが多く、これらの言葉が、日常生活の中に反乱しているのではないかと危惧しています。
8月20日に起きた「渋谷・親娘刺傷事件」においても、面識のない親娘を襲い、「練習で刺した」との報道がありました。
一方、ロシアのウクライナ侵攻により、多くの人が戦争の犠牲になって命を落としている報道も毎日のように流されています。
どちらも、命が、「自分の主義主張を通す材料」にされているように感じます。
これは、バーチャルの世界が広がり、現実の「死」に直面する機会が少なくなり、命の尊さを感じる場面が少なくなっているからではないかと思います。
学校教育の中でも、昔と比べると、生き物の飼育や生き物の解剖など生の「命」を扱う教材が、少なくなっています。
自分の思い通りにならなければ、「死ね」「消せ」と言っても許される現実が、子どもの周りに広がっているように思います。
他の命を粗末に扱う事は、自分の命を粗末に扱う事につながります。
このような環境を変えなければ、日本の未来はありません。
飼育や栽培を増やし、生の「命」を扱う体験を日常生活に取り入れる事が重要だと強く感じました。
畑のキュウリの葉が枯れ、収穫期を終え、ネットの始末をしている時、5cmほどの小さなキュウリを発見しました。
小さなキュウリに「ごめんね。」と声をかける自分がいました。