壁が現れた時こそ
父の介護を続けて3年半になります。
この間に、介護をしていた母を亡くしたり、父親が住む実家の改築をしたりとあっという間に過ぎていきました。
介護を始める時、私は、
「介護をする自分の生き方が問われる機会が、目の前に現れた。」
と、覚悟を決めました。
親から離れて自分たちの生活を作り、その生活を充実させる事に加え、介護のために時間的な制約を受けたり、新たな関わりを作ったりすることは、負担になります。
それでも、負担を負担と思わずに生活できるのは、妻の協力と、介護が充実してきた社会のお陰だと思っています。
父が、1日中家で生活する日は、日曜日だけです。それ以外は、デーサービスに通っています。朝夕の食事の世話は、毎日必要ですが、昼間は、自分たちの生活の充実にあてる事が十分できます。
(介護に振り回される生活にならずにすんでいます。)
「最後の親孝行だから頑張って。」の妻の一言があったから、これまで続けられているのだろうと思います。
(毎日の食事の準備は妻がしていますから、妻は、負担を感じているはずですが、あまり口には出しません。)
そのおかげで、今では、介護を通して、多くの事を学ぶことができたと思っています。
・夫婦の会話が増え、絆が強くなったこと
・父を見て、自分が老いていく先を見通す事ができたこと
・そのための準備(健康な生活作り)を始めることができたこと
・介護に関わる機関を知り、介護に関する視野が広がったこと
・父との関係が深まったこと
まだまだありますが、精一杯生きている父を見ながら、先に亡くした母への介護の反省を活かし、充実した生活を最期まで続けさせたいと思っています。