子どもの心の傷とその影響②
自称、子どもの心の代弁者!
子育て感情トレーナーの高澤です。
今でこそ
激昂するなんてことは
なくなっておりますが、
その昔はそれはそれは
怒りんぼうの私でした。
人が他者に怒るときって
例外なく
「私は正しい!」
「相手が間違ってる!」
と思い込んでいるとき。
もちろん私もそうでした。
むしろ「正しさ」を盾に
人に怒りをぶつけている
自分のほうがまずいわけで。
そもそもいつも
自分が正しく、
相手が間違っているなんて
さすがにないわけで。
ここにまず一つ目の課題。
↓↓↓
●べきねば!
(べき思考)
自分の価値観を絶対視、
他者の価値観は軽視。
だから自分の価値観を
人に求める(押し付ける)わけです。
私なんて
スーパーべきねば野郎!
でしたよ( ̄▽ ̄)
・ルールは守るべき!
・常に人に配慮すべき!
・自分のことは自分ですべき!
・人に迷惑をかけてはいかん!
・自己中であってはならん!
などなど。。。
字面だけ見れば
いずれも正しく見えます、
が!どれもこれも
ただの
「正論」
です。
口先だけなら
子どもだって言えるやつ。
人間はそんな
理想通りになんて
生きていけるわけがない。
こんなべきねばを
偉そうに主張している
自分がすでにこのべきねばに
違反してましたし_| ̄|○
「人に配慮すべき!」
を盲信しているから
人への配慮を欠いた人に
強い怒りを覚える。
そして時に
その人を責める。
口で言わなくても
心の中で責める。
ね。
この自分もすでに
人への配慮に欠けてるでしょ?
相手にどんな理由や
事情があるかなんて
全然視野に入ってない。
まさに子どもがやる
ただの『正論』ですわ…。
でもですよ、
職場の同僚やらママ友やらに
怒りをぶつける人は少数派。
速攻で
「ハラスメント!」
ってなりますから。
なのになぜかしら
*パートナー
*わが子
には怒りをぶつける人は
結構多い。
つまり
べきねば以外にも
課題があるってことです。
その課題って?
それは、、、
・
・
・
●甘え
妻(夫)にだったら、
わが子にだったら、
/
出してもいい!
\
という甘えです。
幼い子どもは
わが家でも保育園でも
わがまま出すでしょ?
あれと同じで、
「許される」という
思い込みから生まれる
甘えなんです。
だんだん
バツが悪くなってきた方も
いらっしゃるかもですね。
私も自分の課題の一つが
「甘え」だと知った時は
かなり抵抗しましたもの。
「違う!
俺は大人として
正しいことやってんだ!」
みたいに。
でもね、
やっぱり人を選んでるから
間違いなく甘えなんです。
当時はそんな自分に
ガッカリもしましたが、
課題として向き合って
解決に取り組めたし、
お陰で仲良し夫婦、
幸せ親子をゲットしたから
結果は超オーライです♪
ここまでで
課題が2つ出ましたね。
①べきねば(べき思考)
②甘え
そろそろ
しんどいでしょうか?
でもまだ続きます(ーー;)
「べきねば」で怒りを作り出し、
「甘え」で子どもにぶつける。
ここまでだったら
該当する方はそれなりに
いらっしゃることでしょう。
ただその中には
べきねば+甘えで
わが子やパートナーに
怒りをぶつけたとしても、
しばらくして
そのことを振り返ると、、、
「あぁ、またやっちゃった」
と後悔する人は少なくない。
やってしまったことは
もうしょうがありません。
だったらせめて
「ごめんなさい」
が言えれば救いがあります。
相手がパートナーなら
即!見捨ててやる!!
までは行かないでしょうし、
相手がわが子なら
「ぼく/わたしのせい…」
などと無用な自己否定感を
刷り込まずに済みますから。
だけどこれまた
謝れない人がなんとも多い。
「べきねば」で怒り、
「甘え」でぶつけたあと、
反省して謝る人もいれば
謝らない人もいる。
ということで
「謝らない人」には
第三の課題があるということ。
それは、、、
・
・
・
●低い自己肯定感/自尊感情
(強い自己否定感、劣等感)
「私はこの私で良いのだ!」
とは到底思えない。
だから
人より下に落ちないよう、
何なら上に立てるようにと
「勝ち」を目指す。
そもそも自分は
人より「下」なんだから
「上」に立たなきゃ!
と奮闘する。
これだとどんな人間関係も
全てが
*勝ち負け
*上下関係
*優劣
が大前提。
そこには
☆心の穏やかさ
☆居心地の良い人間関係
なんてものはありません。
そこにあるのは
サバンナのケモノ同様
「弱肉強食」
の世界のみ。
ということで
三番目の課題が出てきました。
①「べきねば」で自分を怒らせる
②「甘え」で相手にぶつける
↓
③「低い自己肯定感」を
拭うべく、人の上に立とう、
人に勝とうと必死に奮闘する
ここで躓いたままだと
自分が悪くても謝れません。
だって、謝ったら、
負けを認めることになるから、
いえ、正確には、、、
●「自分が下」という認識
●それに基づく恥辱感
に襲われるから。
そうなんです。
感じるのが非常に不快な
『恥』
を避けたいがあまり
大事な「ごめん」が言えないのです。
でもここがそのままだと
人生はずっと戦争状態。
身も心も
すり減っていく一方です。
・
・
・
ここを解決するには
どうすればいい?
それは!
↓↓↓
===========
不完全な自分を受容する
===========
と言いたいところですが、
その手前に大事なのがあります。
それは
↓
↓
↓
/
自分で自分を責める
なんてのはやめちまえ!
\
口に出すなんて言うに及ばず、
頭の中でも自分を責める言葉を
呟かない!
呟きそうになったら
頭の中の自分の口を
塞いででも黙らせる!
自分を受容する前に
責めるのをやめよう!
ってことです。
え?やめられない?
だったらひとつ
これと向き合ってみましょう。
「何の得にもならないのに
私は何のためにわざわざ
自分を責めるんだろう?」
「自分を責めることで
どんなメリットを得ているんだろう?」
人はメリットがない行動を
つづけることはありません。
どんなに強く
「嫌だ!」と願っていても、
その行動が続いているなら
そこにはメリットが存在します。
自己否定のメリットって
たとえば?
・
・
・
*自分のことを
「ちゃんとやってる人」と思える
*改善行動に取り組む
エネルギーを奪える
(=行動しなくて済む)
*人から慰めてもらえる
(その可能性を高められる)
*改善すべき現実から
目を逸らすことができる
などなど。
かなり嫌な話ですが、
ここと向き合わないと
自己否定は止まりにくい。
その結果、
ずっと自分がしんどい
プラス
成長もしない
(むしろ衰退)
でもね、私もそうでしたが
これと向き合うのは非常に
しんどい!しんどすぎる!
じゃあどうすれば
いいのさ!!!
それは、
ここで度々触れている
・
・
・
/
安全基地を持つ!
\
はい、そうです。
仲間を得るってことです。
同じ悩みを持ち、
同じ痛みを抱える人の中で
*弱くて
*脆くて
*不完全で
*欠点もたくさん
の自分を開いていく。
それを仲間の輪の中で
互いに出し合い、
受取り合っていく。
そんなプロセスを通じて
\この私でもいいんだ!/
が育っていくんです。
ここが育てばどうなる?
今日のプロセスが
順を追って改善していきますよ。
①ダメな私でいいんだ!
↓
②子どもに甘えてたなんて…。
でもこれも私なんだよね。
↓
③べきねばは最低限でいい!
もう人に押し付けなくていい!
このステップに乗れたら
生きやすさは爆増しまっせ!
ちなみに正反対の努力だけど
あるあるを最後にお伝えします。
それは、、、
・
・
・
/
すごい私にならなきゃ!
怒られない!責められない!
そんな自分にならなきゃ!
\
です。
これを追い求めるほど
逆説的に
↓
↓
↓
●自己肯定感はダダ下がり
●人の評価にガチガチに縛られる
●恐れや不安は湯水の如く湧く
●人への怒りが恨みに悪化
●体は超疲弊のクタクタ状態
●喜びも幸せも遠ざかる一方
etc.
こんな未来を
引き寄せたくない!
遠ざけたい!
ならぜひとも
今日の記事を参考にしてみてください。
完全なる自分
理想の自分
そんな人間が存在するのは
妄想の中だけ。
それは目指しても
無理なんだ。。。
不可能だったんだ。。。
そんな白旗上げることが
V字回復のスタートです。