悩み「実の親だけど頼れない」
<公式サイトブログ記事より引用>
子育て感情セラピストの高澤です。
突然ですが、
お子さんのことを
無条件に愛していますか?
愛情って言葉は
聞かない日がないほど
ありふれた言葉ですよね。
でもその愛情って
そもそも何なのでしょうか?
機能不全家族で育ち、
大人になった今も
無条件の愛情を未体験だと
この問いにはなかなか答えられません。
むしろこんな誤解を
していることが大半です。
まずは
「愛されている」
の勘違い。
/
自分の快欲求を
全部満たしてほしい!
\
という「小児的欲求」を
充足してもらうことを
愛と取り違える。
だから相手が
思い通りになってくれないと
・怒る
・責める
・すねる
・いじける
・嘆く
・”いい子”戦略を取る
・「ダメな私」と自己憐憫
などなど
そうやって相手から
「愛情らしきもの」を
引き出そうと試みる。
これ、実は
*支配(コントロール)
です。
次に
「愛する」
の勘違い。
/
私が助けてあげなきゃ!
\
と弱い人や可哀想な人に
惹きつけらる気持ちを
愛と取り違える。
だから
「相手のために」
「良かれと思って」
・相手の期待を勝手に読み取り
・求められてなくても世話を焼き
・自己犠牲的に尽くす
これもエゴがベースですから
愛情ではなく『支配』です。
なぜこんなふうに
愛情と支配を取り違える?
それはいずれも、、、
・
・
・
/
相手を
信じていないから!
\
前者は、
「望むように満たしてもらう」
がないと相手の愛を信じられない。
しかしそれは小児的欲求。
大人が大人に求めるような
成熟した欲求ではありません。
だけどそれを満たしてくれないと
相手のことを信用できない。
だから肥大した小児欲求をも
相手に満たしてもらおうと
するわけです。
後者は、
相手が自ら立ち上がり、
自分で生きていく力が
あることを信じていない。
だから相手の領域に踏み込んで
尽くしたり、手や口を出したり、
肩代わりや先周りをする。
その目的は相手を
「自分が望む姿」に変えること。
そうじゃないと
自分が落ち着けないから。
不安すぎて安心できないから。
つまり、、、
健康的な愛情がわからない
| |
人を信じることが難しい
という意味です。
ではどうして私たちは
人を信じられなくなった?
だって、ずっと
そんな環境で生きてきたんですもの。
あなたは
子どもの頃に親や周りの大人から
無条件の肯定をもらえましたか?
親や大人の期待に応えると
褒められる。
期待に応えられないと
怒られたりスルーされたり。
あるいはあからさまに
がっかりされたり
困った顔をされたり。
こんなことが
多くはなかったでしょうか?
これを
条件付きの肯定(愛情)
と呼びますが、
こんな環境で過ごし続けると
子どもたちはこう学ぶんです。
相手の期待を、、、
・満たせば私はOK
・満たせないと私はNG
条件付きの肯定に
晒されて生きていると、
自分のことも条件付きでしか
肯定できなくなるんです。
だから
信用はできても
信頼ができない。
信用とは
◯◯という条件を
満たしたら信じること。
銀行がお金を貸すのは
担保があるとき。
債務だらけで
ブラックリストに載っている人に
お金を貸してはくれません。
これが「信用」です。
一方で信頼とは、
◯◯という条件を
満たそうが満たすまいが
無条件に信じること。
親密な関係に必要なものは
条件付きの「信用」ではなく
無条件の「信頼」です。
パートナー、親子、親友といった
親密関係におけるトラブルの
多くがこの点を履き違えている
ことによって起こっています。
相手が期待どおりでない
↓
だから「信用」できない
↓
だから相手を自分の期待に
沿わせようと(変えようと)する
↓
相手は防衛せざるを得ない
↓
関係がこじれていく
↓
↓
↓
スタートに戻って延々ループ
この悪循環が親子で起こると
なお大変なことが待っています。
その子も人のことを
「信用」はできても
「信頼」ができなくなる。
「不信」
の世代間連鎖です。
こんな不幸な連鎖、
私たちの世代で止めたくないですか?
もし答えがイエスなら、
こんなことに取り組んでみませんか?
名付けて!
\人間信頼回復トレーニング!/
①まずは一番大切な人を決める
(子どもかな?)
↓
②その人はいつも「善意」で
動いていると信じる
(根拠なくてもそう「決める!」)
↓
③だけど相手の行動を
裏読みして疑うときがある
↓
④相手の行動を疑いたくなったら
こう自問自答してみる
・
「私は何のために相手の行動を
疑っているんだろう?」
「疑うことで私は何を得ようと
しているんだろう?」
↓
⑤自問自答で答えが出たら
「自分で」それを満たしていく
例を挙げますね。
①息子を無条件に信じると決めた
↓
②うちの子は変なことしても
そこに大事な意図があるはず!
と決めた
↓
③息子がいくら言っても
やるべきことを後回しにする
・
それに対して
「親を軽んじてるんだ」
という疑いの念が湧いた
↓
④自分がわが子にわざわざ
こんな疑いを持つ目的を考えてみた
・
答えは、、、
「尊重されたい!」
↓
⑤「人に尊重されたい」
という欲求が強いのは、
「この私でOK」という
自尊のニーズが不足している証
・
つまり不完全な自分を受容する
ことに取り組んでいけばOK!
こんな感じです。
こんなプロセスを通じて
不完全な自分を受容できれば
↓
不完全な自分を信頼できる(=自信)
↓
すると不完全なわが子も信頼できる
↓
するとわが子は、、、
/
ぼく/わたしは
このままで愛されてる!
\
と実感できる。
ということで
今日のタイトルに戻ります。
「愛することは、◯◯◯こと」
この答えは
『愛することは、信じること』
でした。
★ーーーーーーーーーー★
どうすれば私はわが子を
無条件で信頼できるか?
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ヴィクトル・ユゴーは
こんな言葉を遺しています。
「愛することは、
信じることの片半分だ」
これこそ
私たち親に課された
超むずい宿題なのでしょう。
子どもたちが
「自分は愛されている」
と感じられるか否かは、
私たちがどれだけわが子を
無条件に信頼できるか否かに
かかっています。
/
わが子への
信頼なきところに
真の愛情無し!
\
お互い連鎖切断のために
ここ、頑張っていきたいですね♪