子育ては母親の責任?
こんにちは。
子育て感情トレーナーの高澤です。
連日連夜のように
虐待報道がなされています。
虐待者の中には時折
子どもを虐げたことを
「子どものため」
「しつけ」
なんて言う人がいます。
そのセリフを聞いた第三者は
「ひどい!」
「許せない!」
「人間じゃない!」
なんて言うこともあるでしょう。
虐待しておいて
「子どものため」
はさすがにないですって!
いくらなんでも
それを言っちゃダメですって!
なんて私も思います。
でもですね、
これは極端だから「おかしい!」と
人は胸を張って批判しますが、実は、、、
「あなたのため」
という美辞麗句で装った嘘は
そこかしこにはびこっています。
しかも
「善」とか「愛」
なんてものの中に。
ここで事例をひとつご紹介します。
あるおかあさんは息子に
とても厳しく接していました。
特に人様に迷惑をかけたときは
怒鳴る、叩くは当たり前レベルで。
最初はこの方も
「子どものため」
と言っていました。
だけど、話を深めていくうちに、
自分でも気づいていなかった
こんな欲求に気づきました。
それはこんな心の仕組みです。
●子どもが人に迷惑をかける
↓
●人から「ダメな母親」と
烙印を押される
↓
●自尊感情が打ち砕かれ、
自分を保てなくなる
↓
●そうなったら生きていけない
↓
↓
↓
*だから絶対そうならないように
子どもには何があっても人様に
迷惑をかけさせない!
つまりこのおかあさんの目的は
「自分が周りから否定されないため」
もっと言えば
「自尊感情をこれ以上崩さないため」
人から否定されたくないという欲求も、
自尊感情を保ちたいという欲求も、
いずれもとても大切です。
ただ、それを達成するための手段が
(わが子という)他者をコントロールする
であったために無理が生じたわけです。
自分のニーズは自分で満たすもの。
このおかあさんが選ぶべき手段は、、、
★「私はこの私でいい!」を
信じられる自分になるために
役立つことを実践する!
だったのです。
事例をもうひとつ。
子どもがやらかしても
叱ることなくゆるすおかあさん。
わが子が公園で
ほかの子が遊んでいた遊具を
奪っても一切叱ることがない。
反対に笑顔で
「遊べてよかったね~」
と。
その話になったとき、
こう尋ねてみました。
「子どもの自制心を育むには
叱ることも大事だと思いますよ」
って。
そこで返ってきた答えは・・・
「それは私もわかっています!」
「だけど下手に叱ってしまうと
きっと子どもは傷つきます!」
「そしたら子どもとの関係に
ひびが入ってしまいます!」
額面通りに受け取れば、
●目的:子どもとの関係にひびを入れない
↑
●目標:子どもを傷つけない
↑
●手段:叱らない
ということになります。
つまりこれも
「子どものため」
ってことになるのでしょう。
「なるほど」と言いたいところですが、
実はここにはある仕組みが隠れています。
人は本来
「したいこと」
「したほうが望ましいこと」
があれば、現実的な障害がない限り
勝手に行動に移すものです。
「おなか減ったー!」
↓
だからご飯を食べる
みたいに。
でも時に人はその望ましい選択を
あえてしない時が不思議とあるんです。
それは
・
・
・
*結末を怖れているとき
このケースで言うと、
「叱った方がいい」と言いつつ
叱っていない。
あれやこれやと
話し合っていくうちに
こんな恐れが出てきました。
●子どもを叱る
↓
●子どもは傷つく
↓
●子どもとの関係が壊れる
↓
●子どもは私を拒絶する
↓
↓
「そんなことには耐えられない!」
つまり
わが子から拒絶されるのが怖くて
子どもの自律性を育む上で必要な
「叱る」を避けていたわけです。
このケースもまた
「わが子のため」
ではなかったということです。
私たち人間は自分のことを
・良い
・正しい
と信じたがる生き物です。
でも私たちには感情があります。
欲求だってあります。
だから
・良くない
・正しくない
部分もあって当然です。
だけどその自分を見たくない。
これを
「否認」
と呼びます。
あるものを
「ある」と認めないことです。
否認はさまざまな
問題を生みます。
だって「ある」ものを
ないもの扱いするわけですから。
そこで今回のテーマです。
「子どものため!」
の子育てを本気でしたいなら、、、
★自分にも否認がないか?
と探索してみる
をお勧めします。
自分では「良い」「正しい」と
思い込もうと頑張っても、
そこに少しでも疑問があるなら、
もしくは
その自分にあまり胸を張れないなら、
あるいは
他者から改善が望ましいと言われるなら、
「自分に隠している欲求(目的)がないか?」
と探索してみるのです。
事例で言えば
●子どもに迷惑を禁止する目的は?
↓
「周りから否定されないため」
●子どもを叱らない目的は?
↓
「子どもに拒絶されないため」
事例のほかにも
●子どもを感情的に怒鳴る目的は?
↓
「思い通りに動かすため」
あるいは
「癇癪をぶつけてスッキリするため」
●子どもを甘やかす目的は?
↓
「衝突で感じる嫌な気分を避けるため」
●子どもを力で抑えつける目的は?
↓
「攻撃を防ぐ(=「怖い」を避ける)ため」
●子どもを侮辱する目的は?
↓
「自分の劣等感を隠すため」
●子どもを支配する目的は?
↓
「自分の無力感を消すため」
どれもこれも
「見たくない自分」
ばっかりですね。
でも、ここを直視できると
親の自分の課題が明確になります。
それに取り組むことで、
親としてだけでなく
人間としての成長も果たせます。
その結果、
建設的に子どもに接することが
できるようになります。
ほかにも、
見たくない自分を直視して
課題に取り組んでいく姿は
子どもにとっての「勇気」の
お手本になります。
「親が変われば、子も変わる」
もとい
「親が育てば、子も育つ」
です。
「子どものため!」の子育て
を本気で目指すなら、、、
●見たくない自分を直視する
↓
●そこから自分の課題を抽出する
↓
●その改善に取り組む
がお勧めです。
これを
*否認を打ち破る
といいます。
否認の直視は痛いものですが、
痛みの先には成長あり!
ですよ。