子ども時代の環境と絆と存在価値と自死と

高澤信也

高澤信也


昨日、あるメディア媒体から
自死についての電話インタビューをうけ、
子どもの自殺の増加について尋ねられました。


そこで改めて自死について考え、
思ったことを書いてみることにしました。
(あくまでも個人的見解という前提でお読みいただければ幸いです)


そもそも人はどんなときに
自死を選ぶほどに追い詰められるのでしょう。


厚生労働省のデータには
病気(特にうつ病)、生活苦、労働環境や人間関係(ハラスメント)などにまつわる仕事の悩み、学業や人間関係(いじめ)などにまつわる学校の悩みなどが自死の動機として挙げられていました。


否が応でも人は環境に影響を受ける生き物です。

環境因的な問題が人を追い詰めるのは
ある意味自然なことかもしれません。


しかし、こういった環境の中にあっても
自死を決して選ぶことがない人が数多く
存在するという事実もあります。


その違いは何でしょうか。


先のデータにあるように
自死の動機となるものは多種多様です。


しかし、たとえ動機が何であっても
自死という最後の引き金を引くのは
「孤立」と言われています。


では人はどんなときに
「自分はひとりぼっち」
と感じるのでしょうか。


実際に人とのつながりが途絶えた、
あるいは「途絶えた」と認識したとき、
人は孤立感を覚えるものです。


たとえば
愛する人や信頼する人の裏切り。
コミュニティからの疎外・排斥。
居場所の喪失。


こういった逆境体験によって
一時的に人を信じられなくなることは
誰にも起こりうるものです。


しかしその一方で、人はつらいからこそ
人とつながろうとする生き物でもあります。


極限まで追い詰められたときですら
人と「つながる」ことが難しいなら、
他の要因が何かあるはずです。



自死とは
「自分という人間を殺す行為」です。


人が別の誰かを殺すとき、
相手の命の尊厳や存在価値を
低く見積もっていることが推察できます。


その相手には「生きる価値がない」と
見なすことさえあるかもしれません。


そこから考えると、人が自死を選ぶとき、
もしかすると自分の尊厳や存在価値が
見えなくなっているのではないでしょうか。


もしも自分という存在を
「かけがえのない大切な命」
と信じることができていれば、
違う選択もできただろうにと
思わずにはいられないのです。


もしそれを信じられずにきたのなら、
それは子ども時代に育ったわが家と
無関係ではないかもしれないと思うのです。


もしも子ども時代からありのままの自分に
OKを出してもらえなかったらどうでしょうか。


もしも子どもの頃から
「良い」と思しき何かを持っているHavingや
「良い」と思しき何かができているDoingに
ばかり価値づけされてきたらどうでしょうか。


そのままで
「ありのままの自分でいいんだ!」
と子どもが自分のBeingに価値を
感じることは難しいことでしょう。


その価値観のままで大人になったとき、
やはり自分の存在そのものを「大切」と
感じることは難しいのではないでしょうか。



「私は私であっていい」
「そのままで大切な命」
と信じることができている。


そして
「私はつながっている」
「ありのままの自分を受け入れてもらえる」
と信じることができている。


この二つの「信じる」が心に育っていれば、
人は自死という悲しい選択をしなくて
済むのではないかと思うのです。



かく言う私も若いころに二度
自死を選ぼうとしたことがあります。


一度目は行動に移しました。
そしてそのとき私はこう信じていました。

「自分が死んでも誰も悲しまない」
「自分なんていなくなっても誰も困らない」


自分の命の価値も、人とのつながりも、
全く信じることができていなかったんです。


一方で二度目は直前で踏みとどまりました。
その時は一度目とは違うものが存在していたからです。


私の絶望に気づいた親友が、
私のもとを訪ねてくれました。

説教も助言も非難もせず、
黙って話を聴いてくれました。

何度も何度も
「つらいね」と言ってくれました。

そして、いかに私が大切な存在かを
切々と伝えてくれました。


そのとき思ったんです。

「自分は一人じゃなかったんだ!」
「こんなダメな私でも大切に思ってくれる人がいる!」
「生きていてもいいんだ!」


その瞬間、
「生きていこう!」
という勇気が湧いてきたことを覚えています。


生きていれば
死を選びたくなることもあると思います。


でもいつか、「生きててよかった!」と
思える日が訪れる可能性はゼロではありません。


その小さな光を絶やさないためにも
「私は私であっていい!」
「この私を大切に想ってくれる人がいる!」

たった一つでいいから
そう信じることができる居場所(安全基地)が
全ての人に見つかることを心から願っています。


また、自死の思いを拭い去れない人の
周りにいる方は、どうかあなた自身が
その方の苦しみに気づき、たった一つの
安全基地になってくださることを願います。


「死にたい」「消えたい」という思いごと
受け取ってあげられる安全基地に。


人は死に直面して初めて
生の大切さに気づくと言われています。


今はまだその苦しみの真っただ中であっても、
人はつながりさえあれば、いつの日か死の念を
乗り越えることができると信じています。


そして、かつての自分と同じ苦しみを
抱えた方々に希望の光を照らせる灯明に
なることができると信じています。



どうかあなたの
悩み苦しみがなくなりますように。
願い事がかなえられますように。
幸せが訪れますように。

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