子どもの心の傷とその影響②
私のブログサイトの名前は、現在は「みんなむかしは子どもだった」に変えていますが、つい最近までは「毒親卒業トレーニング」としておりました。
インパクトは強いものの、誤解を招く名前だったこともあって改称した次第です。
でもですね、中には
「私は毒親です」
「毒親に育てられた私も毒親になってしまいました」
「このままでは毒親になってしまいます」
だから
「どうにか変えていきたい」
という訴えをしてこられた方もいらっしゃいました。
これを認めるのがどれほど勇気が要ったことでしょうか。どれほどの覚悟をなさったからこその発言でしょうか。心から敬服せずにはいられません。
「否認」という防衛システム
私たちは自分を「いい人間」「正しい人間」と思いたがる生き物ではないでしょうか。
このイメージを保つために使われがちな防衛システムに「否認」というものがあります。目の前の現実・事実を認めない状態です。
たとえば、
●子どもに暴力を振るう母親が述べる「子どもを殴ったのは躾」
●飲酒問題が顕在化している父親が述べる「やめようと思えば明日にだって酒はやめられる」
●引きこもっている青年が述べる「別に何も困っていない」
●支援対象者を過剰に世話する支援者が述べる「あの人のため」
いずれも否認です。
認めていないものは上から順に
・感情制御が自力ではどうにもならなくなっている事実
・自力では飲酒を制御できなくなっている事実
・自力では社会参加ができなくなっている事実
・人のお世話なしに自分を保てなくなっている事実
このままでは先に進むことは困難です。
しかしながら、否認は自分の心を防衛するための強力なシステムですので、そう簡単に解けるものではありません。(本来の目的が防衛なわけですから、簡単に解けてはむしろ困るんです)
行為が同じなら結末も同じ
ここからは話を子育てに限定します。
たとえば子どもを殴る行為が「躾。子どものわがままが問題」のように否認によって維持され続けば、その後に起こる結末も変わることがありません。
躾の名のもとに子どもへの虐待が起こる
↓
子どもは不適応を起こす
↓
躾の名の下に更なる虐待が起こる
↓
子どもの不適応はさらに強まる
↓
そしてまた・・・
出口のない悪循環が繰り返されます。
回復の最初の一歩
こういった例にとっての「回復」とは何を指すでしょうか。
それは自力で「ちゃんとした親になること」でもなければ、周りが「ちゃんとした親にさせる」ことでもありません。
それは次のような大いなる一歩からスタートします。
*「自分の力では自分のことがどうにもできなくなってしまった」という受け入れがたい事実を受け入れること
これこそが回復に向けた歩みの大切な一歩になります。
私は毒親です。
たとえば「今は」わが子に対して不適切な関わりをしている親御さんが二人いるとします。行為行動は同じだとしても、そこにどのような意味を与えているかによって、以降の変化は180度正反対のものになります。
A:あの子の問題。あの子が変わるべき。(私は悪くない)
B:私の問題。私が変わる必要がある。
Aは否認。残念ながら同じ悲劇は繰り返されるでしょう。下手すれば悪化の一途、、、という可能性も否定できません。
一方Bは現実直視。親御さん自身が自己変革に取り組む可能性が高いため、その後の状況が改善していく可能性も高くなります。
「私は毒親です」
この何気ない一言が、実は否認を乗り越えたことを意味する言葉。
これを言葉にできたとき、すでに回復の歩みが始まっています。そしてその一歩は決して小さな一歩ではありません。大いなる一歩なのです。
否認を解くための資源
この一歩を踏み出すのはとても大変なことです。下手すると自分という存在が根底から脅かされるほどのインパクトを持ちます。
だからこそそれを助けてくれる資源が欠かせません。
*より良くなった先の未来像
*徹底したセルフケア
*今の自分を理解してくれる理解者
*子育てをサポートしてくれる応援団
*歩みに付き合ってくれる伴走者
*自分を繕わずにいられる居場所
こういったいろんな資源が揃ってくることによって、否認と向き合うことが少しずつできるようになるものです。
最大のリソース
否認と向き合うのも大変。子育ても大変。
その両方に向き合うために必要なことは
★絶対に孤立しないこと
ここに尽きます。
身内がダメなら友人。友人がダメなら行政。行政がダメなら支援者。支援者がダメなら自助グループ。自助グループがダメなら・・・。
とにかく諦めずに、自分助けに役立つ資源を探索し、活用してください。
自立の半分は
◯「自分にできること」は自分でする
ですが、残りの半分は
◯「自分にできないこと」はできる人の力を借りる
両方揃って初めて自立です。
自力と他力であなたの回復、言わば「毒親卒業」が果たされることを心から祈っています!