子どもの心はどんなふうに育つ?
標記のような訴えを聞くことがあります。
好きになれない。だから優しくできない。でもその自分が嫌でたまらない。
出口のない悪循環にハマると苦しいですね。
なんとかここから抜け出したいものです。
何が嫌い?
直視するのはちょっとしんどいかもしれませんが、観ないと解決策も浮かびませんので、少しだけ頑張って一緒に探索してみましょうか。
そもそもわが子の「何が」嫌いですか?
嫌だなあと思う部分を書き出してみてください。
ちなみに私は息子大好き人間ですが、それでもヒステリックにキーキー言うのとか、甘えた赤ん坊みたいにぐずぐず言ったりするとかなりイラッ!とします。
場合によっては必要以上に強く叱ることもあります…。
なぜ嫌い?
わが子のその「嫌いな部分」がなぜ嫌いですか?
まずは頭で考えてみてください。
そのあとは、ちょっと不快になってしまいますが、その「嫌なときのわが子」の様子をありありとイメージしてみてください。おそらく身体や感情が反応し始めますから。
何を感じる?
私の例で言えば、息子のキーキーをありありと思い浮かべるとこんな感じになりました。
背中から後頭部あたりがカーッと熱くなる。胸が抑えられた感じ。胃に力んだ感覚。喉につっかえた感じ。顔はしかめっ面。体が前に行きたがっている感覚。
とっても嫌な感覚です。
その感覚を感じていたら、身体が何かを言いたがっていることに気づきました。身体にそのまま任せていたら、なんとなくこんな言葉が浮かんできました。
「うるせー!黙っとけ!お前が喚くからひどいことになっとろうが!!」
誰に言いたかった?
自分でも???でした。
でも頭で色々考えることをせずに、そのまま体の反応、感情、「言いたかったこと」をただ感じていたら、子どもの頃の両親の夫婦喧嘩の場面が思い浮かびました。
帰ってきた父親に母親がヒステリックに突っかかっています。そしていつもと同じくケンカになり、その後は怒鳴り声と悲鳴と何かが壊れる音。
それが嫌で嫌でたまらなくて、口火を切る母に先のセリフを言いたかったのでしょう。でも言えなかった。なぜなら殴られているかわいそうな人だから。
引っかかっていること
これは一つの事例に過ぎませんが、わが子を愛したいのに愛せなくて困っているのなら、もしかしたら、わが子の「受け入れがたい部分」が他の誰かに似ていて、それを身体が嫌がっている、正確には怖がっているのかもしれませんね。
そしてそれはおそらく当時の自分にとっての傷つき体験であったり、喪失体験であったり。
子どもを愛したいからこそ
無理して「わが子だから愛さなきゃ!」なんてやり続けると、その先にはストレスの増大、嫌悪感の強まり、罪悪感、親としての自信喪失などといった弊害が起こりやすくなります。
だったら今はすっぱり割り切って、「私は子どものあの“◯◯の部分“が嫌なんだ」と受け入れてしまいませんか?
そのあとで、その「嫌」がどこからきたのか探索してみる。探索して発見できたらラッキーです。あとはそれの処理に取り組むといいわけですから。
人の感情や行動には他者には計り知れない「それなりの理由」があるものです。もしあなたが望むように子どもに関われないとしても、「何かしらの理由があってのことなんだ」と受け入れてあげることを私はお勧めしたいです。
親子関係をよりよくしたいなら、まずは自分自身との関係をよりよくすることが優先ではないかと思っています。