子どもの心はどんなふうに育つ?
こんにちは!たかざわです。
突然ですが、虐待の連鎖という言葉を聞いたことがありますか?
虐待された子どもが親になると、その子どもを虐待する、というものです。
無関係の第三者からすると、「自分がされて嫌だったことをするなんておかしい!」と思われるかもしれませんが、そうなるにはそうなるだけの理由があります。
欠かせない子どものニーズ
子どもが生きていく上で欠かせない情緒的なニーズというものがあります。
子どもは衣食住や医療で「生物として生きる」ことはできますが、情緒がなければ「より良く生きる」「人間らしく生きる」ことは実は難しいのです。
虐待に限らず、この情緒的ニーズがほどほどレベルも満たされないと、子どもにはいろんな負の影響が及びます。
ところで情緒的ニーズとは例えばこんなものです。
●安全を確保してもらえること
●つながり・絆を感じられる関わりをしてもらうこと
●自分の存在自体を肯定してもらえること
●心身に起こる不快な反応をなだめてもらえること
ニーズが満たされなかった影響
こういったものが“ほどほど”に満たされると、子どもの心は健康的に育っていきます。
一方でほどほどすら満たされないと、いろんな影響が及ぶことは少なくありません。
●人への恐怖心、神経の昂り、解けない警戒心
●見捨てられる恐怖、自己犠牲的な生き方
●自分の存在を否定、セルフネグレクト
●不快な反応を自分でなだめられず、自分「以外」(例えばアルコール、ギャンブル、過食、他者コントロール、ネットなど)を使ってなだめようとする。頼りきりになると自他に害が及ぶ
この状態で生きていくことはそれはそれはとてもしんどいことなのです。
親になったとき
この状態で子育てまでしなければならなくなると、それがどれほど大変か想像できるでしょうか。
ただでさえ子育ては大変です。
自分のことですら抱え切れない状態なのに、そこに子育てまで加わってくれば、それがどれほどお母さん・お父さんにとって大変なことでしょうか。
世代間連鎖
子育ては大変。
生きづらければさらに大変。
さらにそこにもう一つの大変が加わってきます。
自分が子ども時代に脅かされてきた実感があるからこそ、せめて自分は、、、
「ちゃんと育てなきゃ!」
「いい親にならなきゃ!」
「絶対にうちの親のようにならない!」
こうして自分をさらに追い込みがちです。
これでは余裕を失うばかりで、本当に必要な自分へのねぎらい、いたわり、癒し、勇気づけが得られることはありません。
そしてまた「ちゃんと!ちゃんと!」と尻を叩く。
行き詰まるのは自然な結末と言えます。
そしてあるとき限界を迎える。
「絶対にああならない!」と決めたのに、あの親と同じことをしている自分。
それがどれほどの絶望か理解できるでしょうか。
ハンドルを切る
このままではずっと同じ道を走っている車と同じです。これまでと違う場所にたどり着くことはできません。
思い切ってハンドルを切って別の道を走ってみましょうか。どうせなら今までと正反対の方向なんてどうでしょうかね。
「ちゃんとしなきゃ!」だったら「手を抜こう」
「いい親にならなきゃ!」だったら「ポンコツで十分」
「怒っちゃいけない!」だったら「怒りは感じていい。ただ怒鳴ったり手が出た時は謝ってやり直せばいい」
「私はダメな親!」だったら「ダメでいいや。人間だもん」
…みたいな方向に。
これは自分を甘やかしましょう!ということではありません。
そうではなくて
・
・
・
★人間である以上、私たちはどうあがいても不完全で不十分。その不完全で不十分な「自分という一人の人間」を許してあげよう!
ということです。
あたかも観音さまの如く、ですね。
連鎖を断ち切る最初の一歩
連鎖切断の最初の一歩は、自分が今のような状態に至った道のりを振り返り、「そうならざるを得なかった自分」を
*ちゃんと理解してあげること
自分の苦しみを一番知っているのは自分自身です。
責めるのではなく、それを理解してあげてください。
癒しの旅はそこから始まりますよ。
健闘を祈ります^^