「子どもを叩いてしまう…」
こんにちは。カウンセリングオフィス トリフォリの高澤です。
今日はまたシリーズ物に戻ります。
テーマは「子どもの痛みを共に感じる」です。
背中を蹴られた息子の事例
数ヶ月前のことです。
息子がクラスメイトから強く背中を蹴られ、ちょっとした呼吸困難に陥り、その場にいた先生がすぐに保健室に連れていって処置していただいた、ということがありました。先生からは「近くに私がいたのに申し訳ありませんでした」とお詫びの言葉をいただきました。
幸い、息子は大事には至らなかったので、本当に良かったなと胸を撫で下ろしました。
なんか穏やかな感じで書いていますが、当日に学校から電話があってそれを聞かされた瞬間は、体が燃え上がっているんじゃないかと感じるほどに息子を蹴った相手とその親に対して猛烈な怒りが湧いていましたよ。
相手方に怒鳴り込む5秒前!って感じでしたが、ちょうど妻もそこにいてくれて、私をなだめてくれたので、暴走モードに至らずに済んだ当日でした。
傷ついている子にまで怒る
もしその日に妻がいてくれなくて、夫婦で話し合う時間が持てなかったら、もしかしたら暴走モードに突入してしまって、相手方に怒鳴り込んだり、息子のことも強く叱りつけたかもしれません。
「嫌なことされた時、ちゃんと嫌だ!するな!って言ってるのか!」「言ってないんじゃないか!」「お前にもそんな目に遭う落ち度があったんじゃないか!」って感じで。。。
怒りを超えて「激怒」ですね。あぶないあぶない(汗)
でもこのパターンって意外とあるあるではないでしょうか。わが子が傷ついて帰ってきたのに、その子を叱って葉っぱをかける、なんてこと。
本物の感情
この事例、どう見ても親の私は怒りマックスな感じがしませんか?
でも実は怒りは偽物でした。相手に対して「許せない!」「あってはならない!」などと頭の中で思考したことによって作り出した偽物でした。
では本物の感情は何か。
それは【痛み(傷つき)】です。
酷い目に遭った息子の「心の痛み」をまるで自分の痛みのように感じた、というのが正解です。
愛する存在が傷ついた時、私たちも同じように「痛み」を感じるようにできています。実はこれは群れで生き延びてきた哺乳類が持っている大切な【つながりを保つための仕組み】です。
もしあなたが体のどこかに強い痛みを覚える部分があって、そこを不用意に触れられたらどんな反応になりますか?
痛みで飛び上がって防衛的になると思います。それはまるで「怒り」みたいに見えるのではないでしょうか。
心も体と同じ。痛みに触れるとまるで怒りのような強い反応が生まれるのです。
痛みを共に感じる
わが子を傷つけた相手を責めるよりも、傷つけられたわが子を責めるよりも、遥かに大切なことがあります。
それが
★傷ついたわが子の痛みを共に感じること
わが子の痛みを感じること自体が私たち親の「痛み」を生みます。痛すぎて感じたくないのです。その痛みを避けるために、怒りという感情が用いられることは少なくありません。
でも傷ついたわが子の痛みを癒してあげたいなら、私たち親もその痛みを共に感じることは欠かせません。痛みは誰かと共有することによって軽減されるようにできているのですから。
その日の結末
誰しも生きていれば傷つくことは避けられません。それも一度や二度ではないでしょう。愛するわが子も例外ではないですね。残念ですけれども。
ところでその日はどうだったか。
相手方に怒鳴り込んだ?いえいえ、電話一本入れませんでした。
息子を叱った?ノンノン、それもせずに済みました。
その代わりに両親そろって息子の痛みをいっぱい聴きました。
本人は全部話してけろっとなりましたが、聞いている間中、私は胸が張り裂けそうで大号泣。かえって息子に慰められる始末。
笑顔で「とうちゃん!僕はもう大丈夫よ!」ですって。これを聞いてまたもや大号泣したのはここだけの秘密です( ̄▽ ̄)
今日も最後までお読みいただきありがとうございました(( _ _ ))