悩み「実の親だけど頼れない」
カウンセリングオフィストリフォリの高澤です。
最近度々書いておりますが、右も左も他者批判が散見する様子にほとほとしんどくなっております。
マインドフルネスで気づいたこと
自粛ポリスによる「不届き者」への批判、現場で頑張っている医療スタッフの方々へのいわれのない批判、支援を国民・市民に届けようと尽力している行政の方への批判、望んだわけではないのにウィルスに感染した方への批判、、、。
どこもかしこも批判だらけ。昔の私だったら、その批判屋さんたちに対して「間違っている!」と怒り、そして自らも間違いなく批判していたと思います。
戦争は戦争しか生まないんですね。
それが地味〜にマインドフルネスエクササイズを続けてきたお陰か(あるいはそのせいか)、批判の声を聞いている時の自分は怒りを感じているのではなく、非常に小さな反応ですが、実は傷ついていることに気づきました。
ところでマインドフルネスとは「今、ここ」に意識を向けることができている状態のことです。かなり流行っているのご存知の方も多いかもしれませんね。
怒りではなく傷ついている自分に気づいたからでしょうか、過剰とも思えるほど他者を批判している人々も、実は何かに傷つき、脅かされていて、それから身を守るために「怒り」という感情を使って我が身を懸命に守ろうとしているのではないかと思う最近です。
慈悲の瞑想
もし自分のこの仮説が正しいとしたら、世の中は傷つき、脅かされている人たちがたくさんいるということになりませんか?それなら私にできることは一つしかないなと思いました。傷つき、脅かされた人々のために祈ることです。
よかったらあなたも祈ってみませんか。
誰のために?
まずは他の誰よりもあなた自身のために!
その次には愛するあなたのお子さんのために!
【慈悲の瞑想】
私が身も心も安らかで幸せで、軽やかでありますように。
私が安全で、傷つけられることがありませんように。
私が怒り、苦悩、恐怖、不安から自由でありますように。
私が理解と愛のまなざしで自分を見つめられますように。
私が自分の中に喜びと幸せの種を認め、触れられますように。
私がうちなる怒り、貪欲、錯覚のみなもとを見きわめ、見つめられますように。
私が一日一日、喜びの種子をうまく育てられますように。
私がさわやかに、ゆるぎなく、自由に生きられますように。
私が執着と嫌悪から解放され、しかし無関心ではなくいられますように。
(『和解』ティク・ナット・ハン著より)