子どもの心の傷とその影響②
こんにちは。
生きづらい状態で子育てがんばっているおかあさん・おとうさん応援団の心理カウンセラー高澤です。
突然ですが、子どもは実はすごい力を持っていることをご存じですか?
それは、どんなに厳しい環境であっても、生き延びるためにそこに適応することができるという力です。
にもかかわらず、子ども(赤ちゃんは特に)は訴えるしかできない無力な存在…なんて以前は信じられていたんですよ、と、その昔心理学の授業で教わった記憶があります。
あなたもそう思いますか?
でも実は全く違ったみたいです。
子どもはトレーニングに取り組んでいる
一見無力に見える子どもは、実は養育者(特に母)という名の「トレーナー」と二人三脚であるトレーニングに取り組んでいるのです。
それは、ストレスを感じても自分で自分を落ち着かせること(自己調整)ができるようになる訓練です。
トレーニングの具体的な流れは、、、
○自分の身体の生理的な反応を子ども(赤ちゃん)が感じ取る
↓
○言葉で訴える(赤ちゃんならオギャー)
↓
○養育者(主には母親)になだめてもらう
↓
○身体には「安全な感じ」が、心には「安心した感じ」が戻る
↓
○穏やかな「いい感じ」になる(心は平安状態)
*子どもがここで取り組んでいるトレーニングとは…
①自分の身体の反応に気づき
②そこから自分のニーズを感じ取って訴え
③それを母になだめてもらう
…といった一連の作業を母の手を借りながらこなせるようになることです。
この母と子の共同作業を「協働調整」と呼びます。
まさに読んで字の如し。うまく表現されていますよね。
トレーニングの成果
まだまだトレーニングは続きます。
・親子でこの共同作業を繰り返す
↓
・子どもの中に「安全と絆」を回復させるシステムが育つ
↓
・ストレス(神経の昂り)を感じても自分で自分をなだめることができるようになる
↓
・大人になったときも自分で自分をなだめることができる
*これは子ども時代の訓練を通じて
①身体の反応(訴え)を繊細に感じ取ることができる
②自分で自分をなだめることができる
ようになっている状態です。
お釈迦様も仰ったように、生きている以上は苦を感じる体験をゼロにすることはできません。
生きている限り苦しみを感じる出来事は度々やってきます。
たとえそうでも私たちには希望があります。
そんな世界の中にあっても、子どもが母になだめてもらったような状態になれるよう、自分で自分をなだめてあげる(落ち着かせる)ことができれば良いわけです。
その「自分なだめ」の力を育て、自分の心を落ち着かせることができるようになれば、私たちはほどほどに「いい感じ」で生きていけるのです。
したがって子育てする親の仕事の中でも…
①子どもの訴えに適切に応えること(=なだめてあげること)
②協働調整を通じてわが子に安全感とつながっている安心感(絆)を与えること
…はとっても大切なことだと思います。
親がこの仕事を果たすことで、子どもは自分に対して同じこと、つまり自分の内なる訴えに気づき、自分で自分をなだめてあげることをしてあげられるようになるのです。
親子の共同作業がうまくいかないとき
一方で幼少期にこの親子間の共同作業がうまくいかないケースもあるでしょう。
・自分の身体の生理的な反応を子ども(赤ちゃん)が感じ取る
↓
・訴える
・・・ここまでは同じですが・・・
↓
・母になだめてもらえない、もしくはズレた応答をされる
↓
・子どもは安心安全を感じられず神経が昂ったまま
↓
・なだめてもらおうとして一層訴えを強める
↓
・それでもうまくなだめてもらえない、もしくはズレた応答をされる
↓
・泣き疲れて(訴え続けることに疲弊して)訴えを止める
(同じことが繰り返されれば訴えること自体を諦める)
↓
・ある意味子どもが鎮まったため、「訴えに適切に応答しない」交流は続く
↓
・子どもの「自分をなだめる力」は育たない
↓
・大人になっても自分で自分をうまくなだめること(落ち着かせること)ができない
つまり、とても「生きづらい」状態です。
負の連鎖
自分で自分をなだめてあげる力が育たないまま大人になったある人も、ある時親になります。
自分で自分をなだめられない親は、わが子の訴えに適切に応えることができません。
昂った神経を落ち着かせてあげることができないのです。
するとこの家に生まれ育った子はどうなるでしょうか。
自分をなだめられないだけでなく、いずれ大人となり、親となった時、同じことを繰り返す可能性が高くなるかもしれません。
負の連鎖と呼ばれるものは、こういうプロセスを追った結果かもしれません。
負の連鎖を断ち切るために
この連鎖を断ち切るために親は何をすべきでしょうか。
子育てという難事業を健全に遂行できる自分になるために何をすべきでしょうか。
個人的には次の3ステップは欠かせないと考えています。
①まず親自身が自分をなだめられる自分になる
×
さもないと子どもの生理的・情緒的な訴えに適切に応答できない。つまり子どもの「自分をなだめるトレーニング」を手伝えない。
②子育てにおいて大切な原理原則を学ぶ
×
さもないと世に溢れた雑多な情報に振り回され、子育ての土台となる指針が持てず、一貫性のない場当たり的な子育てを続けることになる。
③学んだ原理原則を実践する
×
実践なく願うだけでは変化は訪れない。
このプロセスを通じてようやく子どもが「自分をなだめるトレーニング」に取り組むことができ、そして子どもの「自分をなだめる力」が育っていくのです。
その力をレジリエンス(心の柔軟性)と呼んだりします。
そもそも「生きやすさ」とは
生きづらいの反対は「生きやすい」ですが、それはストレス体験をゼロにすることではありません。そもそもそれは不可能です。
仮にストレス体験にさらされても、そこで自分を「いい感じ」に戻せれば、私たちはそれでOKなのです。
そんなふうに「自分助け」ができるようになった状態が、生きやすい状態と言えるのではないかと思います。
子育てという難事業に取り組むために
では先ほどの流れを一人でできるかというと、それはあまりに難しいのではないでしょうか。
そこには「自力で何とかする」だけではなく、「人の力を借りる」ことも大切になってくると思います。
たとえば
*自分育てや子育てを応援してくれる第三者
*子育ての大変さを安心して分かち合える安全な居場所
この二つは欠かせない「人の手」になると思います。
親にとっての自立とは
自立とは
*自分のことは自分で
が全部と思われていることも多い言葉ですが、それだと自立はまだ半分です。
残り半分はと言いますと
*自分にできないことは人の手を借りること
どっちもあって初めて自立になります。
自分の育て直しであれ子育ててであれ、自力と他力の両方あって果たせるものです。
ということで
①まずは自分育て
②次に子育て
に取り組んでいけばよいのではないかと思うのです。
そして共に負の連鎖を断ち切りましょう!