父親を頭に、母親を中心に
目 次
1.自己都合による一方的な会話
2. 自分が何者かすら分からない
3.親の背中を見て育つ?
4.生きる意味、自己存在の価値を問う
5.親自身のアイデンティティの再構築
6.健全なアイデンティティの構築のために
自己都合による一方的な会話
相談者の家庭では、その多くが家族間でのコミュニケーションに問題があります。
コミュニケーションとは、元来双方向のものでありますが、これが一方通行になっています。
またそのコミュニケーションがパターン化され、無意識的なルールが出来上がっています。
これが「強迫的コミュニケーション」です。
結果だけが命令的に伝えられる場合が最も家族間の意思疎通に歪みを生じます。
「なぜそうなるのか」
「自分の意見がなぜ確認されないのか」
「どういう意味なのか」などの
疑問が浮上してしまうコミュニケーションパターンです。
ひきこもり者たちから聞かれる幼少期の話の中に、「子どものころ、なぜ叱られているのか
分からないことが多かった」というものがあります。
躾の場面でも、理由、意味を教えてくれぬまま、ただ感情的に叱られてばかりだったという
ことを聞かされます。
特にこういった家庭では、アサーション・スキルが全くと言っていいほど子どもに
備わっていません。なぜなら、協調的に自己主張する手本をほとんど見ないで育っている
からです。
自分もよし、相手もよしといった発展的な自己主張がアサーティブな態度ですが、
強制し、コントロールするといった態度で接していることが多いようです。
自分が何者かすら分からない
また、相手に伝えるべき自分をもてずに育っています。
人は、他者に自分を理解してもらいたいという思いがあります。
不登校、ひきこもり、ニートの青少年たちから聞かれるのは、きまって親や大人の無理解
への無念さです。
しかし、理解してもらいたいその自分を認識できていないことも多いのです。
自分が何なのか、どこを分かってほしいのか、周囲にどう思われたいのかが見えていません。
健全なアイデンティテイが構築されていないからです。
親の背中を見て育つ?
特に父子間のコミュニケーションがほとんど分断されているケースが目立ちます。
わが子に向き合って理解をしようとしても、どう声をかければいいのかさえ分からないで
いるのです。
直接わが子に語りかけられず、母親を相手に「〇〇させろ」「聞いて来い」と愚痴をもらす
父親も少なくありません。
アイデンティティの構築のためにも他者との関わりが必要です。
他者との違い、独自性を認識することでこそ、自分らしさが見えてきます。
わが子に背中を見せていた親ほどわが子から背を向けられているようです。
子どもたちは、いいも悪いも親の背中を見て育つことは確かのようです。
生きる意味、自己存在の価値を問う
ひきこもる青少年たちは、人生の意味を問い直します。
「自分の人生ってなんだろう?」
「誰のための人生なんだろう?」
そして、生きる目的を模索します。
「自分に何か価値があるのだろうか?」
「生まれてきた意味はあったのだろうか?」
これらの問いかけは、自己のアイデンティティ(存在意義)に深くかかわることです。
自尊心を剥ぎ落とされた青少年たちは、周囲の評価の目に怯え、身を隠します。
自身が何者であるかの認識が歪めば、他者の目に映る自分の姿は、とても滑稽で、周囲から
好まれぬものにしか感じられないのです。
親自身のアイデンティティの再構築
実はこれらのことは、子育ちを終えた時期に親が経験することがあります。
わが子が手元を離れ自立していった後、“個”としての自分に向き合った時に「私は何の
ために生きてきたのだろう?」といった問いかけが生じます。
子どもができ親となると、母親、父親の役割、アイデンティティを全うすることに懸命となり、
いつしか一人の人間としてのアイデンティティを忘れてしまいがちです。
子どもたちが巣立った後、ふと二人で顔を見合わせ、交わす言葉が出てこず、と惑う夫婦
も少なくないでしょう。
自身の存在意義を見失うのです。
ユングはこうした時期を「中年期の危機」と呼びました。
そうしたことからすると、ひきこもり現象は、改めて子育ての役割を与えられ、親としての
アイデンティティを再び自覚できる機会を得られます。
そしてさらには、もう一度一人の人間としてのアイデンティティを問い直し、再構築していく
チャンスにもなるのです。
健全なアイデンティティの構築のために
ひきこもる青少年たちは、最初のアイデンティティの構築に失敗しています。
それは、健全な自己のアイデンティティの構築のヒナ形を両親から得られなかったからです。
ニート層の増加の背景には、社会の中でイキイキと活動する父親の姿や生きることを謳歌
している両親の姿を見ていないということもあります。
目標をもって生きることをわが子に教えている親自身が目標を持たずにいます。
子どもたちの抱える迷いは、子育てのやり方、方法論からのものではなく、親の生きる
姿勢・態度によるものなのです。
人生観、仕事観、結婚観などは、その土台は家庭の中で親を見ながら身に備えていきます。
親が目標をもって生きることを楽しんでいれば、子どもも人生を望むように創っていこう
という姿勢になります。
親の働いている姿を目にする機会は、現代は少ないと思いますが、仕事に対しての姿勢は
かねてから家庭の中でも垣間見せる工夫は必要です。
以前、次のように話してくれた青年がいました。
「父は、何が楽しくて生きているのか分かりません。休日はゴロゴロしているし、仕事や
上司のグチをこぼしていることも多いから、仕事にやりがいを感じている風でもないし」と。
どんな仕事も大変ではありますが、社会への貢献をしているわけですから、自分ができること
で役立っていけることの意義は、感じさせていくことは大切です。
結婚観に関しては当然、両親間の人間関係を見て備わります。
結婚や家族をもつことに夢をもてるような間柄を見せてあげたいですね。