~ 士衛塾空手を通して、伝えたいこと 34 ~
士衛塾山梨の門下生に向けた、私からのメッセージを転載します
2023年 1月号 士衛塾山梨ニュースより
この間感じたことなどを、こちらに書いています。ぜひ、皆さまご一読いただければ幸いです
■ 今号は、黒帯の皆様からです ■
いつも私が書いていますが、今号は、黒帯の皆様からいただきました。
テーマは、普段私が書いているように、日常のこと、今年の振り返り、来年のこと等々、思い思いに書いていただきました。最低800字以上で書いてもらいました。
普段、接していない黒帯の方もいると思いますが、人柄などが分かればと思っています。それぞれ、大変努力をして黒帯になりました。色帯のみんなの目標となることと思います。
共通して言えることは、続けていくことの大切さ、挑戦することの大事さです。空手を通して学んだことを様々な分野で生かしています。
特に、子どもから習っている子は、大人へと成長していく過程で必要な「学校では教えてくれない大切なこと」を空手の稽古を通して学んでくれたと思っています。それは、空手の稽古は同じ年齢群で行う稽古ではなく、様々な年齢群との合同で行うこと、基本稽古など、同じことを繰り返し行う中でのスキルアップ(昨日よりも、今日進化する)こと、相手をイメージする事で、想像力を養うことができることだと思っています。
今年も一年間ありがとうございました。士衛塾山梨の自慢の黒帯の皆様の言葉から、元気な明日へつなげる言葉を見つけてみてください。
私たち黒帯も日々、進化するために努力しています。みんなの目標を叶えることができるように勉強をします。また、来年は新たな黒帯が誕生しそうです。こちらも楽しみです。
来年も、士衛塾山梨をよろしくお願いいたします。
【佐藤佑星】
私は5歳から空手を習い始めて今まで12年間空手を続けてきました。その中で習いたての頃は今とは違って寒い体育館で素肌の上に道着を着て、靴も履かずに細田先生と2人っきりで稽古をしていました。当時は体育館に入った途端泣き出したり、走り回ってみたり、練習が嫌で仮病を使ったりしたりして親や先生方を困らせていました。
ですが、こんな私でも空手を始めてから10年1ヶ月で初段を取得することが出来ました。でも他の黒帯の先生や先輩方とは違って私は大きな実績もなかったし、試合に出ても負けることの方が多いでした。いざ試合となると練習では出来ていたことが試合になると出来なくて、頭が真っ白になってしまってセコンドの声さえも聞こえないほど緊張してやりたいことが出来ずに負けるということがずっとでした。でも私はいくら負けたとしても、お父さんに怒られたとしても諦めないで練習を続けました。その結果中学3年生になってから少しずつ入賞が出来るようになってきました。私は今まであんまり大会で賞を取る事がなかったので取れるようになってきた時はとても嬉しかったです。でも試合に出ているうちにこの試合に出れるのも、勝つために練習をするのもお父さんが働いてお金を払ってくれて、送り迎えをしてくれるからこそ続けられているんだなと改めて実感しました。なのでこれを読んでいる方でまだ学生などの方はしっかりお父さんお母さんに感謝を伝えることが大切だと思いました。「ありがとう!」など一言伝えるだけでも全然違うと思います。
そして私がいちばん伝えたいのはいくら苦しいことがあって逃げ出したい時が来たとしてもそこを乗り越えてコツコツ頑張っていることによって空手だけに限らずいい事が来る時が必ずあると思います。それは私が空手を12年間続けてきて言えることなので頑張って欲しいと思います。
そして来年からは私は社会人として働きだします。今までお父さんが色々なことをしてきてくれて今の自分があると思うので今までの恩返しを少しずつして行けるように空手でも、私生活でも頑張って行きたいと思います。
【金丸優奈】「今年を振り返って」
今年の振り返りをしてみました。今年の試合は多くのことを学ぶきっかけになりました。特に、勝つことの難しさ、負ける悔しさ、練習の大切さを知ることが出来た試合が2つあります。
1つ目は、一般クラスになり初めての極真館の試合です。新潟県総本部の2つ下の後輩と決勝戦で対戦することになりました。結果は負け、準優勝でした。決勝戦が終わり、涙が止まらないぐらい今までの試合の中で一番悔しい思いをした試合でした。負ける悔しさを改めに知るきっかけになりました。この試合から、初戦負け、2回戦負けが続くようになりました。(今でもそうです。)段々、試合に出場することが少しだけ嫌になりました。けれど、7月以降の大会から、強い選手と初戦から対戦することが多くなりました。強敵選手との試合を通して勝つことの難しさ改めて知るきっかけになりました。
特にそう思った試合が2つ目の11月の試合です。初戦相手が私よりも身長が高く、一緒に並んだら親子??間違うぐらいの身長差でした。普段、身長差を気にすることがないのですが、さすがにやばいとその試合は思いました。試合前、マイナスな考えが止まらず試合に出ることをやめたいと初めて思いました。けれど、ここで諦めたら今までの練習は何のためにやってきたのか、分からなくなると思い逃げずにやりました。本戦、延長とやり何とか勝つことが出来ました。2回戦目で負けてしまいましたが試合に勝つことの難しさを知るきっかけになった大会でした。
また、この試合では練習の大切さも知るきっかけになりました。なぜそう思ったのかというと、欠かさずにやってきた体幹メニューがあるからです。最高師範から教えて頂いたメニューです。最初の頃は効果があまり見えずにいました。けれど、少しですが、足を崩されにくくなり、11月の試合では前回の試合より耐えられるようになりました。この経験から再度練習の大切さを知ることが出来ました。
〈来年の目標〉
来年度は自分の弱点を少しでもなくし、得意な部分はさらに伸ばせるようにいままで以上に練習を頑張っていきたいです。
つたない文章でしたが最後まで見て頂きありがとうございました。
【後藤純也】
私は山梨県本部指導員の後藤純也と申します。住まいが忍野村ということもあり、主に富士吉田支部と河口湖支部で細田先生のサポートとして指導にあたっています。他流からの移籍で、士衛塾に入門しました。空手歴は21年になります。仕事は自営業を営んでいます。
最近、仕事をしていく上でよく思うことがあります。それは人の有り難さです。昨年の梅雨頃、祖父が他界しました。私は2つ仕事をしていますが、そのうちの1つは祖父と一緒にやっていました。一緒にやるきっかけになったのは、祖父が心臓にペースメーカーを入れたことです。1人では負担が大きくなり一緒にすることとなりました。日々、一緒に仕事をしていく中でお互いのやり方の違いから喧嘩をして言い合いをよくすることもありました。もちろん、喧嘩だけではなく一緒にお昼ご飯を食べたり楽しい話もしてました。仕事上、1人では準備から作業終了まで時間がかかる為、2人の方が片方が作業してる間に片方が準備やフォローをして貰えるので時間の短縮にもなります。1人でやるようになり、いた時の有り難さ、大変さ、いない悲しみが最近になって日々感じるようになりました。わからないことも以前なら聞けたのに、今は自分で考えてお客さんに相談したりと自分の成長には欠かせないですが、いたらなぁーつくづく思ったりします。いなくなってからでは遅いのですが、いなくなってから気付くことが多いです。日々の生活の中で親がいて当たり前、誰かがいて当たり前ですが、それを当たり前に思わないように毎日、感謝をしつつ後悔のないように過ごしたいと思いました。
それから話は変わりますが、私は今年で36歳になりました。今年の2月、関東マスターズの35歳以上40歳未満の試合に出ました。結果は1回戦負けでした。関東マスターズは来年も出場しますし、シニア枠で出れる試合はなるべく出れるように日々、練習を頑張ろうと思いました。また可能な日はランニングや筋トレをして体力作りや、体作りに励んでいます。また今でも健全に試合に出続けてる伊藤師範を尊敬し、目標にして頑張ろうと思ってる次第です。これで私の話は終わります。
【細田勇丞】
こんにちは、細田先生です。今年もあと少しになりました。今年を振り返って皆様はどうでしたでしょうか?満足する年になったでしょうか?目標達成は出来ましたか?
今年を振り返ると私の支部では、新潟デビューの生徒もいましたね。不安の気持ちを持った生徒もいましたが、新潟から帰って来ると一つ大きくなって帰って来た気がします。
今年もあっという間に終わってしまうのかと思うと一年はあっという間ですね。私にも娘が産まれ(莉杏、長女#可愛い)いつの間にか一歳になっていました。あれ?つい最近、この世に産まれましたよねって言う感じです。笑
この前までは首も座っていなかったのに、いつの間にかハイハイをして、気付いたら掴み立ちをしていました笑あと少し経てば娘も空手デビューして、みんなと稽古に励むと思うと楽しみです。私が空手を始めたのが小学一年の時ですが、娘はそれより前に始めると思うと環境って凄いなぁ〜って思います。
私が空手を始めたきっかけは今でも覚えてます。小学一年生の時、隣の知らないクラスの子達が喧嘩をしていると思い、止めに入ったら実は喧嘩ではなく遊んでいたみたいで、その邪魔をした私はその子達に泣かされました。涙 その時に強くなりたいと思い空手を始めました。
空手を始める理由は人それぞれだと思いますが、目標を誰もが持ってやると思います。分かりやすく言うと基本を上手くなりたい!大会で優勝したい!黒帯になりたい!一人一人目標が違うと思います。是非!来年は今年と違う目標を持って稽古をしてみてください。目標が変わればまた違うチャレンジができると思います。
指導をして思った事は、伸びしろは人それぞれです!すぐ出来る人もいれば、数をこなさないとできない人もいますが、結果的に諦めないで目標に向かってやっていく人が達成しています。なんでもそうですが『諦めたらそこで試合終了です!』空手は礼節もそうですが、諦めない気持ちを学べると思います。心が折れたりするのは人なので当たり前です!そこからどう治して前に進んで行くかが大事なので何回も心を折って下さい!笑
空手はやめるのは簡単ですが、続けて行くのは難しいです!中学生から社会人になるまで色々な選択をして行くと思いますが、何事も続けて行くと言うのは難しいです!ですが、続けてた先は想像がつかない事が起きるのも事実です。私も空手を続けているから先生をしてます。学生の頃に辞めていたら確実に先生をしていません。今年もあと少しです!いい年にして来年も一緒に頑張って行きましょう!押忍
【藤巻英貴】
指導員の藤巻英貴です。
振り返ると、空手を始めてから、既に15年が経っています。空手に出会えたからこそ、充実した今があると言えます。
40歳を目前に、子供3人(光・美琴・明日香)と共に空手を始め、子供達に負けまいと、常に全力で取り組んできました。が、それは気持ちばかり、、、実際には、子供達の凄さに打ちのめされるばかりでした。技の覚えの速さ・体力・集中力・試合結果など、足元にも及びません。同じ事を1から一緒になって始めたからこそ、子供達の凄さ・素晴らしさを実感する事ができました。今になってみると、とてもラッキーな経験ができたと思えます。
伊藤家と同じく、藤巻家も、生活の中心に【空手】があります。ソコには当然、何かを「制限」しなくてはなりません。しかし、それは「犠牲」ではなく「集中」です。100の力をどう分配するのか?です。1点に集中すれば、当然中身が濃くなり、結果も付いてきます。人生の中で、無我夢中・我武者羅に何かに取り組むって、そうそうある事ではありません。空手を通してその経験ができた事は、藤巻家全員にとって、何にも代え難いものだと思います。(時間もお金も掛かりますが(笑))
話しは変わりますが、空手を始めて、「押忍」と言う言葉の本当の意味を知りました。言われた事に対し「疑いを持たず実施する」と言う意思表明だと。今の時代には逆行しますが、ソコには自分の意思はありません。「押忍」と言ったら、「やる」だけです。「できるのか?できないのか?」ではなく、「やるのか?やらないのか?」でもなく、「絶対にやってやる!その為にはどう行動すれば良いのか?」それしか有りません。迷うことなく前に進む事を考えるだけです。(諸説あるようですが、私はこの説を信じています)。「押忍」は、最初の1歩を踏み出す為の魔法の言葉です。日々の練習でも、大きな声で「押忍」を言いましょう!
最後になりますが、残念ながら、今、子供と一緒に空手をやっている父兄は、少ないです、、、今しか経験できない貴重なチャンスを逃していますヨ。今からでも遅くありません。一緒に始めましょう!待っています!!(返答は当然、「押忍」ですよね(笑))
【藤巻光】
こんにちは。
はじめましての方が多いかもしれませんね。美琴と明日香の兄の光です。
知らない人がほとんどだと思いますが、少しお話しさせていただきますね!
小学3年生で空手を始めて、初めの頃は毎日泣きながら練習をして、首の涙を拭くためのタオルがトレードマークでした笑
身体が小さいこともあり、女の子と組み手をして泣かされてたり、試合も全然勝てませんでした。正直、痛いし、勝てないし何度も辞めたいと思ったことはありました。でも、毎日練習に連れて行ってくれる両親と、一緒に練習に行っていた妹のおかげで続けることができ、気づいたら勝てるようになり楽しくなっていました。
中学2年生の頃には.テコンドーという足技が中心の競技に出会い、高校は士衛塾の本部がある新潟の学校へ、大学はテコンドーの部活がある埼玉の大学に行きました。テコンドーも始めた頃全く勝てず、格闘技という同じ枠でもこんなに戦い方が違うのか、と思うくらい別物でした。とにかく勝ちたい、強くなりたい。そんな気持ちで練習することで結果がついてきて少しずつ勝てるようになっていきました。
今は大学を卒業し、就職したのでなかなか練習はできていませんが、振り返ると「続けることの大切さ」を学び、「続けさせてくれた周りの環境」に感謝しています。
中学に進学する時、一緒に練習していた同級生はみんな辞めてしまいました。
その時、自分も一緒にやめていたらどうなっていたか。
考える時がありますが、続けてきた今の人生の方が、圧倒的に楽しくて充実しています。
結果がすぐ出ることはほとんどありません。
続けることで自分を知り、強み弱みを理解しどうやっていけばいいのか考える。
これを全力でやっていれば周りも助けてくれる。
空手だけではなく、仕事をする上でも大切なことだと社会に出て感じています。
今の自分があるのは間違いなく、空手をやっていて色々な人に支えられてきたからなので、本当に感謝しかありません。
文章を書くのが苦手でうまくまとめられていませんが、士衛塾で今練習しているみんなも、練習を続けて勝つ喜びや練習の楽しさを感じてほしいですね!
たまに、練習に行かせていただくので見かけたら声かけてください笑
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
【藤巻美琴】
私は今年の3月に夢を一つ叶えました。それは管理栄養士の資格を取得したことです。
幼い頃から食べることが大好きで、小学生の頃に料理やお菓子作りに興味を持ち、レシピ本を購入しては、片っ端から作っていました。1回目に作る時はレシピ本通りにきっちり作り、その料理の味の濃さや出来栄え、作り方の評価をメモし、2回目、3回目と配分や作り方を試行錯誤して自分好みの1品になるように何度も作っていました。家族が「おいしい」と言って食べてくれる瞬間がとても幸せで、いつしか、この大好きな料理やお菓子作りを仕事にしたいと思うようになりました。調理師やパティシエ、フードコーディネーター等様々な職業がありましたが、その中でも管理栄養士は食事を作るだけではなく、数値を管理しながら献立をたてるところに惹かれて目指すようになりました。中学生の頃に「管理栄養士になりたい」と思ってから、今年の合格まで長い道のりでしたが、諦めずに夢を叶えることができました。
現在は、管理栄養士の中でも特にアスリートを対象として栄養管理を行う、公認スポーツ栄養士を目指しています。この資格の取得には、いくつかの条件や細かい取得の流れがあり、まだ挑戦出来ませんが、タイミングが来た時にチャンスを逃さないよう、様々なセミナーに参加して日々勉強しています。スポーツ栄養界の第一線で活躍している方々の話を聞くのは、管理栄養士1年目の私にとってはまだ理解しきれない内容もありますが、自分が同じように働く姿を想像してみたり、新たな夢や目標を持ったりするのに貴重な時間になっています。
管理栄養士の中でも特にアスリートに関わりたいと思うようになったのには2つ理由があります。
1つ目は、空手を通して経験させていただいた海外遠征で、海外の選手と対戦し体格の違いを感じたことです。同じ学年、同じ体重階級、同じ女子の選手なのに、こんなにも体格が違うのにはどんな理由があるのか。人種によって骨格や筋肉の付き方が異なるのが大きな要因であるとは思いますが、身体を作っている食事も大きく影響しているのではないかと思いました。日本と他国では、食文化、食環境、食事スタイル等異なる面がたくさんあり、とても興味深いので今後も勉強していきたいことの一つです。
2つ目は貧血を経験したことです。最近では女性アスリートの三主徴(利用可能エネルギー不足、視床下部性無月経(運動性無月経)、骨粗しょう症)という言葉が良く使われますが、これは「利用可能エネルギー不足」つまりエネルギーの必要量と消費量のバランスが崩れる所から始まります。私自身も成長期の運動量と食事量、休息のバランスが崩れていたことが原因だったと思います。診断を受けてから1ヶ月は鉄剤を打ちに毎日通院したり、半年間ドクターストップで運動が出来ない期間があったり、長期間鉄剤を服用したりしました。今思い出してもとても辛い日々でした。そこから、このような経験をするアスリートを減らしたい、怪我無くコンスタントに競技生活を送れる選手を増やしたいなどの思いを持ち、管理栄養士として出来ることを考えています。私は空手が個人競技であったことと、練習が出来ない期間にも空手に関わる方法を提案してサポートしていただけたことで、回復することが出来ました。運動中の息切れや動悸、疲れやすい、慢性的なだるさや眠さ、立ちくらみなどを以前より感じることが増えたら早めに通院することをおすすめします。
管理栄養士でありながら競技を行っている人は少ないので、競技者としての経験と、管理栄養士としての知識を生かして、まずは、競技性や選手1人1人を理解することから始め、自分にしか出来ないサポートが出来るようなスポーツ栄養士を目指しています。この夢を叶えるには経験が必要です。まだまだ未熟ですが、皆さんのお役に立ちたいと思います。些細な事でも良いので、栄養や食事に関することで気になることがありましたらお声をかけて下さいね。
【藤巻明日香】
こんにちは,藤巻明日香です。兄と姉がいて3人兄妹の1番下です。5歳で空手を始めて16年が経ちました。高校3年間は士衛塾の本部道場がある新潟県の高校に行き,1人暮らしをしながら練習をしていました。空手を長く続けてきたことは自分の中の唯一誇れることで,空手を通じて世界を見ることができ普通に過ごしていたら経験できないことを沢山経験することできました。
卒業後は山梨に戻り保育の短大に通い,現在は社会人2年目で保育士をしています。
子どもが初めて親の元を離れて過ごす大事な時期に携わり,子どもたちの成長を見られることに仕事のやりがいを感じます。1年目は1歳児クラス,2年目は3.4.5歳児が一緒の以上児クラスの子どもを見ていて,保育士2人で年齢の違う27人の子ども達を見ることは大変だと感じることもありますが,良い先生に恵まれ環境設定やクラスの回し方など色々なことを学びながら日々楽しく仕事ができています。今はクリスマス会の練習や年長児の就学に向けての取り組み,その他の行事の準備など色々なことが重なり要領の悪い私はやる事に追われていますがなんとか乗り切りたいと思います。
普段話す機会のない趣味について少しお話しします。好きなことは沢山ありますが,その1つが映画鑑賞です。映画は自分が主人公になったつもりで入り込み非現実世界を体感できるところが好きです。色々なジャンルを観ますがアクション映画を観ることが多いです。好きな映画はありすぎて決められませんがアクション映画だと"バイオハザード"と"ベイビードライバー"が特に好きです。バイオハザードは最終章を高校生の時に新年早々映画館で観た思い出があり,ミラジョボヴィッチは私の中の強い女性の象徴のような存在です。ちなみに映画館で食べるポップコーンはキャラメル派です。ベイビードライバーは冒頭のカーアクションがかっこよく,映像と音楽がマッチして何度観ても飽きないです。おすすめの映画があれば是非教えてください。
映画をきっかけにレコードにも興味を持ち70年代80年代の音楽を聴いて気に入ったアルバムや映画のレコードを買ったり好みのジャケットのレコードを集めて飾っています。
話しは変わりますが今年初めて富士山に登りました。2日間に分けて,1日目は8号目まで登って山小屋に泊まり,2日目の早朝にご来光を目指して山頂まで登りました。標高が高くなると高山病の心配もありますが,山小屋では普段よりもぐっすり眠ることができ天気も良かったのでとても綺麗なご来光を見ることができました。夏でも山頂は凍えるほど寒く,自然の壮大さを感じた貴重な経験になりました。
今年は仕事にも慣れ,初めて挑戦したりやりたかったことができたりと色々な経験ができた1年でした。
来年も変わらず自分の中で目標を立て実現の為にやるべきことを考えながら挑戦していきたいと思います。
【渡部里紗】
結婚を経て、主人の転勤で横浜に引っ越してから早2年となりました。新しい環境に慣れつつも横浜の洗礼?を日々受けています。人口が多い土地柄、多様な感性・考えを持った人々。狭い道路でも我が物顔でスピードも緩めず突っ込んでくる車が多いのです。『お前がどけよ』と言わんばかりに睨まれる。毎朝の通勤道路ならば、どういう道かなんて分かるはずなのに…。しかもミラーをぶつけても素通りなんて事も。山梨ではありえないことですね。
乱暴な運転の車が通る危険な場所だからこそ、譲り合いの心。
『一旦ここで止まって先に車が見えないことを確認してから進む』など一手二手と先を読む力。こんな何気ない日常でも空手で培ったことが活きてくるとは…。『うわぁ~こんな人にはなりたくない』と常々思います。
身近な存在の自転車の交通ルールも11月から厳しくなりました。自転車も車と一緒で一時停止、左右確認などをしっかり行わなければなりません。生徒の皆さんも通学等で乗る事が多いと思いますが、生身の人間が何の装備もなく乗っており、万が一事故にでも合えば被害は多大なものです。自転車と歩行者が出合い頭で衝突し歩行者が亡くなってしまう、自転車の急な進路変更により車と衝突し自転車の方が亡くなってしまうなど、悲しい事故が後を絶ちません。車や歩行者ばかりが気を付けるのではなく自転車に乗っている自分自身が注意をしなければいけない。一歩間違えれば被害者にも加害者にもなりえるということを改めて考えさせられますね。
12月3日に新潟総本部主催のクリスマスカップ、また翌日には初心クラスやデビュー戦となる選手向けの北晋杯も開催されました。2日間続けて大会が入ることは1年の中でも珍しいことです。その中でも2大会連続で参戦する選手もいたそうな(笑)。しっかりと伊藤先生の背中を見て、『自己の成長の糧となる、与えられたチャンスを最大限に活かす』といった意志を継いでいる生徒がいてくれているなと大変感心させられました。
また11月5日に型の特別練習、19日には組手の特別練習が行われ、多くの生徒が県本部道場に集まりました。先生方も含めたら30名以上にもなり賑わい活気のある練習になりました。県本部の生徒と支部の生徒は、普段の交流機会が少ないのですが、遠征や合宿などで仲良くなり久しぶりに道場で顔を合わせた面々は『よっ!久しぶり!』なんて会話もしていて、とても微笑ましかったです。両日共に3時間の長い時間の練習でしたが、型の練習では細かく指導されたところを集中力切らさず、最後までやり切ってくれたと感じました。
型は『覚えて間違えずに出来たからそれでよし』という訳ではありません。その先の細かい所作に加え、キレや緩急といった+αが出来てこそ上手い型と言えます。ですので『なんで自分ばっかりこんな細かく色々言われなきゃならないの⁈』なんて思わないで下さいね(笑)。
多くの指導があるという事は、課題を克服して上手になる可能性がたくさん詰まっているという事です。例えば普段同じ支部内でしか組手をしない子達も、他支部の子達とたくさん組手が出来ましたね。子供は良くも悪くもすぐに学ぶもので、試合形式での指名制になったら『〇〇とは痛いからやりたくない。』なんて子もチラホラいました(笑)。うん、正直で素晴らしい!いつもは『なんだかなぁ…』って動きの生徒も、強い子やアグレッシブな子とやるとしっかりと出来ている。『おいおい普段からその動きしなさいな』と思ってしまう(笑)。
やっぱり環境って大事。週に何回も練習をしている子達はやっぱり強いなと思いました。自ら苦しい環境に飛び込む事はとても勇気が必要です。でも苦しい稽古に人一倍頑張っている仲間もいます。今回クリスマスカップでは多くの生徒が素晴らしい結果を残すことが出来ました。その中でも稽古回数が多く、試合にも定期的に出場するも思うように結果を残すことが出来なかった子が、今回優勝したことを知りとても嬉しかったです。
私は結果までの過程をとても大事にする性格なので生徒が負けてしまえば、生徒以上に悔しいですし、勝てば目頭がウルっと来てしまうほど嬉しいです。なかなか結果に繋がらず上手くいかなくても、努力し継続することを忘れず一緒に頑張っていきましょう。来年は私自身、みんなが頑張っている姿を隣でサポート出来る機会が増えたらいいなと思っています。
【伊藤帆南】皆さんは空手好きですか?
突然ですが、皆さんは空手好きですか?
私は、小学校3年生の時に空手を始めました。最初はずっと体験をしていて、審査会があるので入ってくれませんか?と言われ入りました。
私の性格上、すぐ嫌になったりで長続きしないタイプなので、きっと親も心配だったんだろうなと思います。
案の定、小学校高学年~中学生までずっと辛い疲れる辞めたいって思っていました。ただ、親が怖いから辞めたいなんて言えなくて嫌々ながらも続けていました。
時には仮病を使いながら休んだりもしていました(親は気付いていたみたいですが笑)。
試合に負けるたびにもう嫌だとも思いました。
なんやかんやで中学生の頃までは本当に空手が嫌いで嫌いで…笑
高校生になる頃に士衛塾に入り、そこから空手が好きになりました。子供たちを見る、指導する楽しさが出てきてそこから好きになったんだと思います。
もちろん試合も好きです。少なくとも負ければ悔しいもうヤダなどと思う時もあります。でも、次は絶対勝つんだとか自分で決めている目標「伊藤師範と同じ歳までもしくは、ヨボヨボのおばあちゃんになっても現役でいる」を思い出しやる気を出します。
実際はどこまで出来るかわかりませんが、体が動くうちは試合に出続けたいと思っています。
皆さんもまずは、目標を決めてみて下さい。最近、練習の前に数人「今日意識する所~です。」と意識する所を伝えて来てくれます。終われば「どうでしたか?」と聞かれるので、どうだったか次はこうしたらいいよなどとアドバイスしています。
試合で勝ちたい、上手になりたい!そう思ったら毎回の練習での目標(意識する所)、試合での目標など決めたら先生達に話してみて下さい。アドバイスをもらったらお家でできることなら必ずお家でも練習してみて下さい。
試合での目標は、「今度の試合で優勝したい」「全日本で優勝したい」「世界大会に出て優勝したい」などなんでも構いません。それを先生達に言って下さい。
練習に対する姿勢や考え方変わってくるはずです。
ただ練習をこなすだけでは限度があります。(私は練習は嫌いですが…試合に出るのは好きです笑)
辛い時や嫌になる時があっても構いません。人間ですからそういう時もあります。
嫌でも練習に来てしまえば仲間がいる、楽しい、終わったら美味しいもの食べようなどと、ポジティブに考えてやってみて下さい。きっと空手が好きになるはずです。
悩んだら相談してみてもいいかもしれません。
私はみんなを指導するのは楽しいです。試合などで成長が見られた時は嬉しいです。
みんなの目標、憧れられる人になりたいと思っています。
一緒にこれからもやり続けることで元気に楽しく成長していきましょう。
PS.文章書くの苦手なので伝わりづらいかもしれませんが、伝わっていたらうれしいです。
【伊藤龍平】
私は、小学一年生から空手を始めて、中学生までは山梨にいました。強くなりたくて空手を始めたのにも関わらず、最初の頃は、空手が嫌いで泣いてばかりでした。でもなぜか小学生半ばぐらいから空手の先生になるのが夢でした。そこから学年が上がっていくにつれて、段々と空手が嫌いではなくなっていた気がします。
高校生の時は、新潟で総裁や最高師範の下で、より深く空手や指導員について学ぶべく、姉の里紗指導員と二人暮らしをしていました。そこでは、本部とのレベルの違いや、指導の難しさを改めて知りました。
高校一年生の途中で、テコンドーという競技に出会い、足技の凄さや、ポイント制での勝負の楽しさを知り始めました。テコンドーで有名な大学へ出稽古に行かせていただくことが多くなり、ここでテコンドーを学びたいと思い、そこに進学することに決めました。
大学では埼玉、東京と一人暮らしをしていました。大学のテコンドー部では、日々修行のような毎日でしたが、それと同時に得るものが多くとても楽しい日々でした。
テコンドーを引退してからは、私に今残っているものはなんだろう、何が出来るのだろうと思いながら、時々山梨に帰って練習や指導をしていました。そこで、改めて空手とはとても奥深く、面白いものだと感じました。山梨に帰る決心がついたのも、この時の思いがあったからだと思います。
山梨に帰って来てから、私なりに、今までの学んだことを活かして練習したり、指導をしたりなどしています。改めて考えてみると大学生の頃からですが、私が常に練習の際に意識していることがあります。
それは、長期、中期、短期で目標を決めて練習をすることです。例えば、長期では、この大会で優勝する。中期では、大会までに出来るようにする事を決めて、短期では、その中の一つをその日の練習でする。などの目標です。その目標を立てることによって、今の自分がやるべきことが見えてくると思います。ただし、目標立てるだけではなくそれを意識して、日々の練習ですることが大事だと思います。
塾生の中には、練習前にその日の目標を立てて言葉で伝えてくれる塾生や、指導員の問いかけに答えてくれる塾生もいます。そこで感じたことは、その日の目標を立て言葉で伝えてくれるまでは良いのですが、それを意識して練習をする塾生が多くないということです。目標を日々の練習で意識することで、少しずつですがレベルアップしますし、それが長期の目標までに積み重なって試合にそれが出るのだと、私は思っています。
最後に、これからの私の夢ですが、選手そして指導員として今よりレベルアップをして、塾生がそれをみて、空手を頑張ろうと思う気持ち、やっていて楽しい、やりがいがある、大会で勝てて嬉しいと思える塾生を今よりもっと増やしていきたいです。そして、他の道場の方からも士衛塾山梨はすごいところだと、より思っていただけるようにしていきたいです。
それには、私はまだまだ選手としても指導員としても未熟なことが多いです。なので、少しでもその力になれるように、私も日々学び成長したいと思っています。これからも塾生、保護者の皆様、どうぞよろしくお願い致します。