~ 士衛塾空手を通して、伝えたいこと 44 ~
士衛塾山梨の門下生に向けた、私からのメッセージを過去のニュースより転載します。
2019年 10月号 士衛塾山梨ニュースより
■一般部合宿■
ジュニア合宿に引き続き、一般部の合宿参加、お疲れさまでした。今回の特徴的なことといえば、初段受験者が全員不合格だったことです。普段から初段の合格率は低いのですが、10人受験してゼロというのは私の記憶ではありません。黒帯の道は厳しいものです。だからこそ、挑戦して、それを達成することに価値があるのです。評価としては、今回初段受験者について、審査会開始時に、声や気持ちの面で注意されました。「この受験者たちは、合格しようと思って受験しているのか?」審査員全員が初段受験者に同じように思ったはずです。基本や型について合格レベルに達していない方もいました。それでも個別練習の場を設けて、OKが出ましたが、組手審査で全員不合格となりました。審査員が受験者に対して思ったことが現実となってしまいました。
残念でなりませんが、これも試練でしょう。乗り越えるべきものです。諦めず頑張ってください。
■帯の重さは、自分自身のやってきたことに対する価値■
今いる黒帯たちも、二級・一級・初段をとる際、何回も何回も落ちています。藤巻美琴でさえ、二級一級ともに四回目で合格でした。初段も二回目です。
人生には、投げ出していけないものがあり、失敗を経験値に変え、乗り越えなければならないこと、勝負をかけなければならない瞬間があります。受験者たちは、このかけがえのないことを受験という形で経験していきます。それまでの自分自身の努力、悔しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、すべての歴史が詰まったものが「帯」です。黒帯だけではありません。色帯も同様です。自分自身の過去の経験の積み重ねが「帯の重さ」になり、それは「自信」と「誇り」になります。だから帯が上がると「心」が強くなります。
簡単に取れてしまった帯には、価値がありません。それは取った人がそう思うのです。だから簡単に投げ出すことができるのです。以前在籍していた方でもそういう人がいました。他流からの移籍の黒帯で、実力は全くないのに仕方なく黒帯を占めていた方ですが、うちでは色帯以下でした。いたたまれずに、また別の流派に行きましたが、そこでは現在黄色帯です。彼は何回か同じことを繰り返しています。経験年数だけは、やっていない期間も含めて長いので(笑)続けていれば数段になっているのに何回もやり直しています。自分で言った約束も守れず、言い訳ばかり、それを繰り返して、分が悪くなると人のせいにして逃げ出す口先ばかりの、そんな「可哀そうな」大人にならないようにしてください。
■やぶへび?■
さて、一般部合宿では、山梨の参加者が「降格」となりました。茶帯(一級)なのですが、明らかに練習不足でした。最高師範から「支部長、○○は、明らかに練習していないだろう」、「はい」、「茶帯の実力じゃない、本人と相談して帯の降格を検討して」、「わかりました」。さすがに最高師範です。その子の練習を直接見ているわけではないのに、見事に見破りました。
確かに私たちでさえ、普段練習していない子は見ればわかります。審査会や合宿のために、とってつけたように練習してきた子もわかります。
さて、ここからが本題です。その子は、当初二日間参加の予定だったのですが、土曜日に試験が入ってしまい、みんなとバスでは行けず、それが終わってからご父兄が新潟の合宿先まで送ってくるという状況となりました。普通ならそういう状況では、大変だから全日程欠席となると思うのですが、一日目の夜から参加となりました。本当に素晴らしいです。○○だから行けないという人がいる中、ありがたいことです。
しかし、普段から練習不足だったもので、せっかく参加したのに「降格」です。まさに「やぶへび」ですよね。他にも茶帯で参加していない人や、普段から練習不足の茶帯がいるのに、頑張って参加したのに「降格」です。それなら、参加しなかった方が良かったと考えるのが普通でしょう。そのことについて、帰りのバスで話しました。この「降格」を「やぶへび」ととらえるか「必要だったこと」ととらえるかは、今後にかかっている。このまま何もしないでいたり、落胆してやめてしまったら、ただの「やぶへび」。これまで続けてきた空手は「必要なかったこと、やらなければ良かったこと、無駄だったこと」となります。しかし、ここで奮起して一年後なり二年後に初段を取った時にはこの降格は、「初段を取るために、必要だったこと」となります。成功の裏には失敗はあります。失敗を失敗とするのか、失敗を成功するために必要だったことにするのかの選択は周りではありません。「本人」です。これを転機に成功へのストーリーが始まることを私は期待しています。乗り越えることができるあなたにだからこそ与えられた試練だと思います。みんなの見本と道標になってください。
■ポジティブは循環する──「P循環」と「N循環」■
読んでいて納得した記事があったので、以下引用させていただきます。
ポジティブは循環する──「P循環」と「N循環」
「P循環」の仕組み
「P循環」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? これは、龍谷大学の東豊先生(文学部臨床心理学科教授、臨床心理士)が提唱した言葉で、ひと言で表すと「ポジティブは循環する」ということです。心の中がポジティブな感情で満たされている人は良いことが起こりやすくなり、良いことが起こるとますます心の中がポジティブな感情で満たされ、そうするとますます良いことが起こりやすくなる……。このように、心の中の状態と現実との間に良循環が生じることを「P循環」といいます。 ただし、このような言い方ですと、「そんな、根拠のないことを」と思われる方もいるでしょう。しかし、よく考えてみますと、心の中がポジティブな感情で満たされている人は、心にゆとりが生まれますから、例えば、同僚の配慮の足りないひと言にイラつくこともなく許容できるなど、多少のことでは動じることもなくなります。 そして、心のゆとりにより視野が広くなるので、ミスが少なくなることが考えられます。また、周りの人からすると接しやすく感じられるでしょうから、周りの人との関係も円滑に進みやすくなります。そうすると、心の中がネガティブな感情で満たされている人よりは良いことが起こりやすくなることは想像に難くないと思います。
「N循環」と「N循環」を脱する方法
実際に、私のもとにカウンセリングを受けに来る方の多くは、ある一時に不幸なことを重なって経験されています。つまり、ポジティブではなくてネガティブが循環しているのです。これを「N循環」と呼びます。悪いことが起きると、心の中の状態がネガティブになり、そうするとますます悪いことが起きやすくなるという悪循環です。中には、カウンセリングに来る途中に交通渋滞に巻き込まれたり、カウンセリングの時間を間違えていらっしゃったりして、「カウンセリングすら受けられない」というさらなる不幸に見舞われることもあります。 このような状態を脱するための、効果的な方法は「他者のための行いをすること」です。人は他者のための行いをすると幸せを感じるようにできているようです。 ただし、気を付けていただきたいのは、私利私欲を捨てて行うことです。つまり、「お金のため」「職場内での評価のため」「地位名誉のため」などなど、こうしたものを取り払った状態で他者のための行いをしてみてください。それはたとえ、ごみ箱にたまったごみを捨てに行くなど、小さなことであっても大きな効果があります。この時に、「そんなことをしても誰もほめてくれないし……」などと思っているようでは、まだ私利私欲を捨てきっていないといわざるを得ません、ご注意ください。
ポジティブは人と人の間でも循環する
次に、心の中がポジティブな感情で満たされている人同士が会話をするとどうなるでしょうか? お互いが相手のことを肯定的に認め合い、相手のための行いをし合い、良い循環が生まれるでしょう。すなわち、ポジティブは個人と現実の間を循環するだけでなく、人と人の間でも循環するのです。このような循環が職場全体に広がると、その職場は非常に良い状態で機能します。当然、職場の人間関係による負担も少なくなります。