東洋医学とは何か 2 -東洋とは何処(どこ)か-
こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療(瘀血吸圧治療・抜缶治療・刺絡治療等)、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。
私は、「鍼灸を国民医療」にすることを目的に、東京大学、早稲田大学、順天堂大学等の日本国内を始め、海外の様々な大学や医療機関の人たちと研究を進めています。明治国際医療大学客員教授、早稲田大学特別招聘講師や様々な大学・学会での経験をもとに、患者様や一般市民の皆様に東洋医学のすばらしさを知って戴く活動を行っております。
江戸時代まで「本道(ほんどう)」と呼ばれていた鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は、明治期に「漢方」と呼ばれるようになりました。
按摩治療とは、701年に制定された『大宝律令』「醫疾令(いしつれい)」第一條に「按摩」の文字が記載されている、古くから我が国で行われている医療です。日本で最初の「医制」であるこの制度は、中国の唐代を模倣した制度ですが、この内容は、春秋戦国時代頃に書かれたとされる『周禮』という本の医制度と同じです。
「醫疾令」には、あん摩や骨折・外傷に対して瀉血し包帯術を行う者は、按摩師となっています。奈良時代の『大宝律令』は現存しませんが、その後に書かれたほぼ同じ内容である『養老律令』の医制度は江戸時代が終わるまで制度上継続していました。
その後、戦国時代には武士の中から「金創医(きんそうい)」という外科医や各藩や民間に「整骨医」「接骨師」という骨折等外傷を治す医者が現れたため、明治政府が医師開業試験を行う前の暫定期間として認めた「漢医」の中で、「整骨治療」を行う「整骨医(漢医)」は医師が行う医療としたものの、「按摩」を行う漢医や按摩という医療・医術の扱いに苦慮したことは言うまでもありません。
明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生し、それまで開業していた漢方医・西洋医は、暫定的に10年間医師と認められました。登録した医者は、下記のように分類されています。
明治7年(1874年)
漢醫 23015人
洋醫 5247人 合計 28262人
明治8年(1875年)
漢醫 14807人
和漢醫 33人
洋醫 5097人
和洋醫 12人
漢洋醫 2524人
和漢洋醫 17人
和醫 25人
流派不詳 744人 合計 23259人
明治初期は、本道(漢方)が主流であるものの、西洋医学を取り入れて行っている医者は多かったことがわかります。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降は、暫定的に認められた10年の間に医師試験を受けて合格した漢医以外、漢方を中心とした医術を行う医者はいなくなりました。
明治18年(1885年)3月23日に「入歯、歯抜口中療治接骨営業取締方」が内務省より出され、医師試験に合格しなかった整骨科医や接骨師は「従前接骨業」者として営業が可能となりました。また、明治18年3月25日に「鍼灸術営業取締方」が出され、鍼灸治療も営業が可能となったことから、医師試験に合格しなかった漢医や江戸時代の鍼医・灸治は営業が可能となりました。按摩術の営業は各府県にその規制をゆだねられました。営業許可を認めた府県はごく一部でしたが、按摩師は、徒手で行う手技を「指圧」と名称を変えて生業を維持しようとした人が出て来ました。一方で、按摩師を取り締まる法律がなかったため、何を行っても良い行為となった側面がありました。このことが、医療類似行為や療術行為の始まりと言えます。
明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)や徒手整復術(柔道整復術)は、正式に国家の医療として復活しました。その当時認められた按摩術は、江戸時代までに行っていた按摩が主でした。江戸時代は、按摩術が医術として認められなくなり、按摩を行う人の地位も低い立場にありました。全身をもみほぐす行為が主流になっていた中で、医術を極めようとしている人たちもいました。当時の按摩術は、按摩(あん摩)、按腹(あんぷく)、導引(どういん)が中心でした。全身を様々な手技で揉み解す按摩(あん摩)、お腹の異常を正そうとする按腹のほかに、本来道教の修行法であり健康法であった運動法や呼吸法を組み合わせた導引が揉み療治として行われていました。中国の身体分析方法と融合した『大宝律令』にもある歴史的な医術として、明治政府が認めたものと考えられます。
しかし明治17年(1884年)から明治44年の法施行までに生まれた手技療法は、「指圧」の名の下、さらに細分化されていきます。
大正時代になり、高橋廸雄が「正体術」を創始します。大正15年12月10日に出版された『正体術大意』は、矯正法として徒手で治療行為をしている人に浸透していきます。骨格のゆがみを矯正し、身体の均斉をとることにより、健康増進・体質改善などをはかる考えは、中国の整体論に起因しています。
その後、1895年にアメリカで誕生したカイロプラクティックと「正体術」の基本的な考えが似通っていることから、双方を総称して「整体」と呼称するようになります。「指圧」の中で大きな手技治療が登場したわけです。昭和30年(1955年)に、医業類似行為の一つである指圧業があん摩師の業務として認められました。昭和39年(1964年)6月30日に改正された「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」では、「あん摩師」の名称が「あん摩マッサージ指圧師」に改められました。
マッサージは、医療保険が適用となる行為として組み入れられた名称と思われます。この背景には、昭和39年(1964年)に誕生した作業療法士と理学療法士との兼ね合いがあると考えられます。また、「あん摩マッサージ指圧師」資格は、医業類似行為を行っていた「指圧業者」に配慮した名称でした。「あん摩マッサージ指圧師」は、すべての徒手治療を行うことができる資格として誕生しました。
江戸時代の按摩術は、明治44年(1911年)に「按摩師」が担うこととなり、医師(外科医)が行うこととした柔道整復術は大正9年に「按摩師」の業務に組み入れられ、昭和22年(1947年)に「あん摩師」に改称され、昭和26年(1951年)に「あん摩師」と「柔道整復師」に分離、昭和39年(1964年)に「あん摩マッサージ指圧師」と「柔道整復師」となり現在に至っています。
医業類似行為を行うことが出来る届出医業類似行為者は、1990年(平成2年)に全員「あん摩マッサージ指圧師」の免許を与えられたため、医業類似行為者は消滅しました。医業類似行為は、医療行為の取り扱いとなりました。現在は、医療資格を有していないものは、医業類似行為は出来ません。
以下は、日本医史学会 で発表した論文です。『日本醫史學雜誌』 に掲載されています。
『日本醫史學雜誌』第61巻1号99頁 通巻第1557号 平成27年3月20日発行
第116回日本医史学会発表掲載論文 学術大会平成27年4月25日・26日
「あん摩術指圧術とカイロプラクティックの関係」
清野充典
順天堂大学医学部医史学研究室
【はじめに】
あん摩術が我が国に取り入れられたのは、平安時代以前である。明治七年八月十八日に医制が発布され、「医業」に従事する全ての者が初めて法の下で管理されることになったが、あん摩術については、医制で何ら規定していない。平成二十六年度現在、医業を行いかつ開業権を持つ国家資格者は、医師・歯科医師・はり師・きゅう師・柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師である。あん摩術は、明治四十四年八月十四日に医業と認められ資格免許になったが、昭和三十年八月十二日に指圧術をあん摩術と法制化するときの主体は、米国で行われていた脊椎・骨格の矯正療法であるカイロプラクティック等であったことについて述べる。
【本文】
あん摩術は、明治四十四年八月十四日に制定された「按摩術営業取締規則」によって営業免許が交付されたことにより、法の下で管理されることになった。按摩実施者は、大正九年四月に一部改正され、柔道整復術に準用されることとなり、日本固有医術の施術者に位置づけられる。明治期末より大正期にかけ医療類似業者が増加したことを受け、昭和五年一月三十日に内務省衛生局長は医療類似行為を業とする取締を決定した。東京府は、同年十一月に「療術行為に関する取締規則」を定め、医師、歯科医師、按摩師、はり師、きゅう師が行う医療と一線を画した。昭和二十三年六月に厚生省医務局長らは、新たに「医業類似行為」を定義した。昭和三十年八月十二日に厚生省医務局医事課は、「医業類似行為」と認めた行為の中で、「指圧とは導引・柔道活法・古来のあん摩術から発したものであるが、大正初期米国の各種整体療法の学理と手技を吸収した施術である」として指圧術を法律上あん摩として取り扱うこととした。各種整体療法とは用手療法(マニュピレーション)のことであり、カイロプラクティック・オステオパシー・スポンジロテラピー等を意としている。カイロプラクティックは、戦時中「脊椎指圧療法」と呼称されており、高橋迪雄の「正体術」、整体の元祖である山田信一の「整体術」、平田了山(内蔵吉)の「触圧療法」、浪越徳治郎の「圧迫療法」とともに、指圧術として認知されていたことが背景としてあげられる。昭和三十九年に創設された「あん摩マッサージ指圧師」は、導引術やヨーガ療法など国内外の様々な手技療法や運動療法を行うことができるとした資格免許であると言える。
【結語】
昭和二十三年一月一日に発令された「医業類似行為業者」登録制度は、昭和三十八年十二月三十一日に終了した。平成二年に東洋療法研修試験財団が設立され、生存する医療類似行為業者全てに「あん摩マッサージ指圧師」免許を交付したことにより、「届出医業類似行為業者」は消滅した。現在、「医業類似行為」とされた「手技、電気、光線、刺戟、温熱療法」の5つは、医師、歯科医師、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師または柔道整復師の法令で正式にその資格を認められた者以外行うことは禁じられている。昭和三十九年に創設されたあん摩マッサージ指圧師資格免許は、カイロプラクティックを含む国内外の様々な手技療法を行うことができるとした資格免許である。近年、カイロプラクティック術については、未だ国民、医業従事者及び地方公共団体間の解釈において、乖離がある。現在の日本において、カイロプラクティック術を医業とする際は、「医師」「柔道整復師」または「あん摩マッサージ指圧師」の資格を有しなければ行うことができないと言うことを結びとしたい。
『日本醫史學雜誌』第63巻2号202頁 通巻第1566号 平成29年6月20日発行
第118回日本医史学会発表掲載論文 学術大会平成29年6月10日・11日
「指圧術について」
清野充典
順天堂大学医学部医史学研究室
【はじめに】
指圧という言葉は、江戸時代末期から明治時代初期に、近代医学の導入という時代の変革に伴って生まれた言葉で、一部の手技療法を存続させるために創設された用語といえる。昭和三十九年三月に、厚生省医務局医事課は、「医業類似行為は、大別して人体に効果があると思われる手技療法、電気療法、光線療法、刺戟療法、温熱療法の5つの行為を指す」と言っている。昭和三十九年六月三十日に「届出医業類似行為業者」は営業継続の期限を撤廃した。また、昭和二十三年にやむを得ない事由によって届出が出来なかった者について改めて届出が出来るようにしたことから、新たに約2,500人が届出を行い、営業を行う事となった。5つの行為を「医業に類似した行為」と認定した一方で、手技療法の一つである指圧術は、医業類似行為の中で唯一医業と認め、「あん摩マッサージ指圧師」という資格が誕生した。指圧術について述べる。
【本文】
明治七年八月十八日に医制発令後、あん摩、はり、きゅう、柔道整復の業務については、明治四十四年八月十四日に制定された「按摩術営業取締規則」及び「鍼術、灸術営業取締規則」に基づき営業免許が与えられていた。終戦に伴い朝鮮、台湾、満州等の外地から引き上げる者に救済を図る為、昭和二十一年六月十九日に「按摩術営業取締規則及ビ鍼術、灸術営業取締規則ノ特例二関スル件」が制定され、昭和二十一年十二月二十九日に「柔道整復術営業取締規則」が制定されたことに伴う「按摩術営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則及び柔道整復術営業取締規則の特例に関する件」に改題された法律に基づき、「医業類似行為をなすことを業とする者の取締に関する件」という法律が昭和二十二年四月三十日に公布された。医業類似行為の法整備に伴い「医業類似行為業者」の登録制度が行われ、14,700人が登録した。昭和二十三年六月に厚生省医務局長らは「医業類似行為とは、医師、歯科医師、あん摩師、はり師、きゅう師または柔道整復師等他の法令で正式にその資格を認められた者が、その業務としてする行為でないもの」と定義している。登録者は「届出医業類似行為業者」とした。これらの人達に対し、国は一定の教育をした後のあん摩師資格試験受験を推奨した。昭和三十年八月十二日に、厚生省医務局医事課は「医業類似行為」と認めた行為の中で、「指圧とは導引・柔道活法・古来のあん摩術から発したものであるが、大正初期米国の各種整体療法の学理と手技を吸収した施術である」として指圧術を法律上あん摩として取り扱うこととした。指圧術が医業と認められたことに伴い、約4,000名の「届出指圧業者」には所定の学校又は養成所を卒業していなくてもあん摩師試験の受験が認められかつ試験についても受験者に有利な特例が設けられた。昭和三十九年六月三十日に「届出医業類似行為業者」の営業継続期限が撤廃された。その際、「あん摩師」という名称の下に指圧業務を行うことに強い不満を示してあん摩師への転換が促進されなかったことに考慮かつあん摩師業務の中に含まれていたマッサージ業者をも勘案して「あん摩マッサージ指圧師」という資格が誕生した。これにより、導引術やヨーガ療法など国内外の様々な手技療法や運動療法を行う指圧が正式に医療資格者名となった。
【結語】
昭和二十三年一月一日に開始した医業類似行為を行う「医業類似行為業者」制度は、昭和三十九年に登録が終了した。届出した者には、平成二年に設立された東洋療法研修試験財団が、「あん摩マッサージ指圧師」免許を交付した事により、「届出医業類似行為業者」は消滅した。医業類似行為の一つとされる手技療法の一部である指圧術を行うためには、あん摩マッサージ指圧師または医師・柔道整復師資格が必要である。その他の医業類似行為は、医師・歯科医師・はり師・きゅう師・柔道整復師の国家資格がなければ、行ってはいけない。人体に影響を及ぼす恐れがある医業を行う者に対して必要な国家資格に、未だ国民、医業従事者及び地方公共団体間の解釈において、乖離がある。明治以降に用いられた指圧という用語は、昭和三十九年に国家資格の名称として用いられることになったことを結びとしたい。
その他の論文等をご覧になりたい方は、 清野鍼灸整骨院HP http://seino-1987.jp/ 内の「東洋医学の辞書サイト」→「研究業績・刊行物・メディア」をご覧ください。(つづく)
「第121回日本医史学会学術総会抄録号が発刊 私の論文が8年連続採択されました」 https://seino1987.tamaliver.jp/e477788.html
令和2年12月7日(月)
東京・調布 清野鍼灸整骨院
院長 清野充典 記