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  1. 東洋医学とは何か 55 ー医業類似行為(医療類似行為と療術行為を合わせた新名称)の一つである指圧業が昭和30年(1955年)にあん摩師の業務として認められるー
清野充典

東洋医学と西洋医学の融合を目指す鍼灸師

清野充典(せいのみつのり) / 鍼灸師

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コラム

東洋医学とは何か 55 ー医業類似行為(医療類似行為と療術行為を合わせた新名称)の一つである指圧業が昭和30年(1955年)にあん摩師の業務として認められるー

2020年5月11日 公開 / 2020年6月14日更新

テーマ:東洋医学とは何か

コラムカテゴリ:医療・病院

 清野鍼灸整骨院HP  http://seino-1987.jp/

 こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。

 私は、順天堂大学大学院医学研究科の医史学研究室に在籍しています。東洋医学について長年研究をしてまいりましたので、東洋医学についてコラムを書いています。

 明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生してドイツ医学中心の医学・医療に変わりました。江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は「本道(ほんどう)」と呼ばれていましたが、国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになりました。医師は、医学大学や専門学校を卒業した者、医師試験を合格した者、外国の医学校で4年以上の課程を修了した者とされましたが、医師試験は8年間実施されないことから、従来開業していた人に対する医術開業試験は継続して行われることとなりました。試験は、救済措置として大正5年(1916年)まで実施されることになっていましたが、大正3年(1914年)10月1日の文部省令で「医師試験規則」が施行されたことに伴い、大正3年(1914年)10月の試験が最後となりました。これにより、西洋医学教育を中心に受けた者以外の医師免許取得が事実上断絶しました。旧来の漢方医が医師の資格を取得する道は、完全に閉ざされました。

 明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、医師国家試験には漢方に関連した問題が出題されないことから、試験に合格することを目的とした医師たちは漢方を学ぼうとしなくなったため、明治20年(1887年)以降、漢方医学は大きく衰退しました。その後、漢方の復興に関する活動が実り、明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)は正式に国家の医療として復活し、徒手整復術(柔道整復術)もその後追認されました。 

 第二次世界大戦(大東亜戦争)を経て、日本は昭和22年(1947年)5月3日に日本国憲法が施行されたことに伴い、新憲法への移行が円滑に行われるため、先だった4月18日に「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」が公布されました。これにより、「鍼術」「灸術」「按摩術」の法律は、昭和22年末まで効力を有することとなりました。

 これに先立ち、昭和22年3月に、厚生大臣の医療制度審議会において、4つの主な答申が行われました。その内容は、
1.鍼灸、按摩、マッサージ、柔道整復術営業者はすべて医師の指導の下にあるのでなければ、患者に対してその施術を行わしめないこととする
2.鍼、灸営業については、盲人には原則として新規には免許を与えないものとすること
3.柔道整復術営業については、原則として新規には免許を与えないものとすること
4.いわゆる医業類似行為はすべてこれを禁止すること
というものです。これらを受け、国内で各関係機関と調整したのち、昭和22年12月20日に「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布され、昭和23年(1948年)1月1日に施行されました。

 これにより、従来の「鍼灸師」は「はり師」と「きゅう師」に分離されました。盲人に新規免許を与えない政策は取り下げましたが、盲人が灸治療を行うことは困難であり、この他都道府県において試験を行うこととしたので、実質「きゅう師」の資格を切り離した政策と言えます。また、「按摩師」はあん摩術と柔道整復術を行っていましたが、「あん摩師」と「柔道整復師」という新しい免許を創設したことにより、柔道整復術を行うことが正式に認められました。江戸時代に「整骨医」や「接骨師」が行っていた骨折や脱臼等の外傷に対する徒手整復術は、日本古来の医術であることを新日本政府が再認識したのではないかと思われます。
 
 「あん摩師」は徒手による治療全般を行う免許となったため、西洋からもたらされたマッサージという手技が、漢方専門の免許に組み込まれました。東洋医学と西洋医学が免許状初めて融合したことになります。明治44年以降、西洋医学が東洋医学の教育現場に入り込んでいたため、東洋と西洋の融合に大きな抵抗感はなかったのではないかと考えます。これらの免許は、営業を行うための営業免許から、資格免許になりました。国家より資格制度として認められたことになりますので、国家の医療を担う一員として認められたことになります。

 一方、医療類似行為と療術行為を合わせた新しい名称である医業類似行為はすべて禁止することにしました。ただし、現に営業を行っている者については、その既得権とも言える生活権を奪うことにもなることを考慮し、所定の届出を行った者は、昭和30年末までの間営業が出来うる事としました。

 昭和22年10月1日から12月31日までの届出期間に、約14000人が届出を行いました。

 「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」附則第十七条には、従来の内務省において免許鑑札を受ける資格を有しながら、やむをえない事由によってこの法律の日(昭和23年1月1日)までに免許を受けることが出来なかった者に対して昭和23年6月末までに免許を受けることが出来るとなっていましたが、医業類似行為者の届け出期間が9か月と短かったのでこの規定による救済を受けられない者が相当存在しました。戦争で外地に在住する者が、簡単に帰国できなかったからです。

 この、届け出期間が短かったこととこの法律が「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」の中に組み入れられたことが、昭和・平成の時代に誤読・誤解・曲解を生み出していきます。

 この救済措置は、医業類似行為という名称が表に出ることなく「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」に関連して、幾度も延長されます。昭和23年(1948年)1月1日以降は、医業類似行為は、既得権者以外一切禁止されることになりました※が、昭和26年4月1日に「あん摩師、はり師、きゅう師、柔道整復師法」という身分法に改められた際や昭和28年1月20日に受験資格等に関する改正が行われたとき、既得権益の延長が行われました。戦争による引き揚げ者が全員完了していないという理由でした。

 昭和24年(1949年)から昭和27年(1952年)に行われた調査によると、医業類似行為者は14856人でしたが、昭和30年末までの営業禁止猶予期限が迫ってもなお13000人が営業していました。政府は、一切禁止するか救済策を講じるか検討し、その結果、医業類似行為の営業を3年延長し、医療類似行為の一つとしていた「指圧」をあん摩に含め、届出業者があん摩師に転業するように促進することにしました。

 それに伴い、届出医業類似行為者は、指圧業以外は営業を禁止する方向になりました。

【参考文献】『医学教育の歴史』坂井建雄編 2019年3月20日(財)法政大学出版局発行
      『厚生省五十年史』

※1948年に既得権を得ている人は、仮に当時18歳としても2020年現在90歳を超えています。世襲は認められていませんので、鍼灸院・接骨院・整骨院・あん摩院・指圧院以外の名称で治療行為をしていて90歳以下の人は、何らかの医療国家資格を有していない限り法律違反者です。
                                                                        (つづく)

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