東洋医学とは何か 58 ー最高裁の判決により医業類似行為は医業行為の一部と断定ー 医業類似行為は病的状態の人にする行為であるため医療資格が必要
こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。
私は、順天堂大学大学院医学研究科の医史学研究室に在籍しています。東洋医学について長年研究をしてまいりましたので、東洋医学についてコラムを書いています。
明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生してドイツ医学中心の医学・医療に変わりました。江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は「本道(ほんどう)」と呼ばれていましたが、国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになりました。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、医師国家試験には漢方に関連した問題が出題されないことから、試験に合格することを目的とした医師たちは漢方を学ぼうとしなくなったため、明治20年(1887年)以降、漢方医学は大きく衰退しました。その後、漢方の復興に関する活動が実り、明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)や徒手整復術(柔道整復術)は、正式に国家の医療として復活しました。
医師は、医学大学や専門学校を卒業した者、医師試験を合格した者、外国の医学校で4年以上の課程を修了した者とされましたが、医師試験は8年間実施されないことから、医術開業試験は継続して行われることとなりました。試験は、救済措置として大正5年(1916年)まで実施されることになっていましたが、大正3年(1914年)10月1日の文部省令で「医師試験規則」が施行されたことに伴い、大正3年(1914年)10月の試験が最後となりました。これにより、西洋医学教育を中心に受けた者以外の医師免許取得が事実上断絶しました。旧来の漢方医が医師の資格を取得する道は、完全に閉ざされました。
明治・大正・昭和の時代は、日本という国家の枠組みが出来た時代です。平行して医療を提供する枠組みが出来た時代でした。ドイツ医学中心医学部教育でしたが、昭和になり「医」とは何かを考えるようになった時期でもありました。「医」とは、「医学」(医学理論)・「医術」(医療技術)・「医道」(医療倫理・医療者の姿勢や態度)が三位一体となることで成立すると考えられています。この教育体制は、第2次世界大戦・大東亜戦争によって大きく崩れたと言えます。
戦後、昭和23年(1948年)1月1日の日本国憲法制定を機に、日本の医療制度は大きく変革を遂げます。明治7年(1874年)医師制度(医制)が誕生以来2度目の大きな変革期です。東洋医学も、この大きな変革の波に飲み込まれて行きます。
【参考文献】『医学教育の歴史』坂井建雄編 2019年3月20日(財)法政大学出版局発行
(つづく)
東洋医学・東洋医療に関して、すぐに詳細をお知りになりたい方は、清野鍼灸整骨院ホームページ「東洋医学の辞書サイト」やブログをご覧頂きたく思います。「アーユルベーダ」の一つであるヨーガについては、「清野充典の東洋医学ひとりごと」のブログに掲載しています。
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清野充典の「東洋医学ひとりごと」 https://seino1987.tamaliver.jp/c19872.html
令和2年(2020年)2月14日(金)
東京・調布 清野鍼灸整骨院
院長 清野充典 記