東洋医学とは何か 16 -漢方の1つ柔道整復治療と整形外科の創設-
こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院の院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、柔道整復治療、瘀血吸圧治療、ヨーガ療法等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の医術を基に、診療を行っています。
私は、順天堂大学大学院医学研究科の医史学研究室に在籍しています。東洋医学について長年研究をしてまいりましたので、東洋医学についてコラムを書いています。
明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生してドイツ医学中心の医学・医療に変わりました。江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は「本道(ほんどう)」と呼ばれていましたが、国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになりました。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、医師国家試験には漢方に関連した問題が出題されないことから、試験に合格することを目的とした医師たちは漢方を学ぼうとしなくなったため、明治20年(1887年)以降、漢方医学は大きく衰退しました。その後、漢方の復興に関する活動が実り、明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)や徒手整復術(柔道整復術)は、正式に国家の医療として復活しました。
江戸期まで、本道の一つであった「按摩」という手技療法は、漢方の衰退と共に新たな療法が誕生し、明治期になり「指圧」、大正期に「医療類似行為」、昭和期に「療術行為」という新たな名称や法律用語が生まれました。昭和22年(1947年)5月3日に、新憲法が施行されました。それに伴い、昭和22年(1947年)2月に厚生大臣の諮問機関として医療制度審議会が設置されました。同年3月に、「指圧」・「医療類似行為」・「療術行為」は、「医業類似行為」という名称で述べられました。昭和23年(1948年)1月1日に公布された「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」は、「医業類似行為」を営業している者を、届出した者に限り、昭和30年末まで認めるという内容でした。この措置により、17,000人が届出を行いました。登録者は「届出医業類似行為業者」となりました。「医業類似行為とは、医師、歯科医師、あん摩師、はり師、きゅう師または柔道整復師等他の法令で正式にその資格を認められた者が、その業務としてする行為でないもの」と定義しています。つまり、「医業類似行為」とは医療資格を持つ者以外の人が行う行為という意味です。
この法律は、公布から施行まで極めて短かったため、登録期間が昭和23年(1948年)6月末まで延期されました。その後、昭和26年(1951年)に至り、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」の大幅な改正が行われました。この法律の重要な改正点は、身分法となり「あん摩師、はり師、きゅう師、柔道整復師法」と改称されたことです。「医師」「歯科医師」と法律上同等の扱いになったことは、明治7年(1874年)の医制改革以来画期的なことでした。それと同時にこの改正の主たる趣旨は、内地以外の地で、その地の法令によって免許鑑札を得ていた者で、終戦後引き上げてきた者に対して特例の期限を延長することにより、救済を受ける者の拡大を図る事にありました。
内地以外の地の法令による免許取得者に対する免許付与の特例期限が、昭和23年(1948年)12月31日までとされていたのを、「当分の間」は免許を受けることが出来ると改正されたことで、無期限に延長されたことになりました。しかも、その権限を都道府県にゆだねたことで、明確な認可体制を確立することが困難になったと言えます。この決定が、届出医業類似行為者の存続に繋がり、その後様々な問題を生む要因になります。外地での医療制度や戦争後の処理過程において、困難を極めたことがこの背景にあります。
外地とは、台湾、樺太、朝鮮等のことです。それぞれの地域で、日本の医療制度が敷かれ、医師等の養成が行われました。大東亜戦争が激化するにつれ、医療の担い手が不足したため、短期間で免許を出す様になりました。その免許証を、実際に公布することが困難で受け取れなかった人や免許証が消失・紛失する人が少なくありませんでした。戦争へ行った地域により、帰国時期が異なります。抑留生活を送った人は、終戦後の帰国時期が大幅に遅くなっています。
その人達に対する戦後処理問題が、届出医業類似行為者の登録延長の背景にあります。
(つづく)
東洋医学・東洋医療に関して、すぐに詳細をお知りになりたい方は、清野鍼灸整骨院ホームページ「東洋医学の辞書サイト」やブログをご覧頂きたく思います。「アーユルベーダ」の一つであるヨーガについては、「清野充典の東洋医学ひとりごと」のブログに掲載しています。
清野鍼灸整骨院HP http://seino-1987.jp/
清野充典の東洋医学ひとりごと https://seino1987.tamaliver.jp/c19872.html
平成31年4月11日(水)
東京・調布 清野鍼灸整骨院
院長 清野充典 記
【東京・調布 清野鍼灸整骨院】
院長:清野充典 中国学修士・鍼灸学士・社会福祉学士
はり師 きゅう師 柔道整復師 社会福祉士 精神保健福祉士 介護福祉士
開設記念日 1987年(昭和62年)2月2日(月)
場所:東京都調布市布田1-45-1 CIELOビル3階
(京王線調布駅東口北側目の前 新宿駅より特急15分2駅目)
3階総合受付
外来専門診療室
鍼灸総合治療室・整骨接骨治療室
鍼灸内科 骨折
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鍼灸整形外科 捻挫
鍼灸婦人科 打撲
鍼灸小児科 挫傷
鍼灸心療内科 スポーツ外傷
鍼灸精神科
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午後3:00~ 7:00
木曜午前 ヨーガ教室
午後1:30~5:30
土曜午前9:00~12:00
午後3:00~6:00
休診日:木曜午前・日曜・祝日
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【東京・府中 清野鍼灸整骨院 府中センター】
開設記念日 1991年(平成3年)4月6日(土)
場所:東京都府中市八幡町3-3-5 大久保ビル1階
(京王線東府中駅より徒歩3分 旧甲州街道沿い)
院長:吉田卓司 鍼灸学士
はり師 きゅう師 柔道整復師
受付時間:平日午前9:00~12:00
午後3:00~7:00
土曜午前9:00~12:00
午後3:00~6:00
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【清野治療所創業記念日】 1946年(昭和21年)10月5日(土)創業73年目