コスト削減よりも売上向上の戦略を考えるコンサルタントの方が良い理由とは?
社会が移り変わったことを認識していますか?
2008年に日本経済の最大の転換期を迎えます。2008年を境に、社会は「成長社会」から「成熟社会」へ移り変わりました。なぜでしょう?何をきっかけに社会が切り替わったと思いますか?2008年は何が起きたのでしょうか?2008年は福田首相が辞任し麻生内閣が発足した年、秋葉原無差別殺人事件が起きた年、日本人4人がノーベル賞を受賞した年でもありますが・・・日本経済及び社会を大きく変えることとなったのは、【人口が減少】し始めたということです。鎌倉幕府の時代からずっと右肩上がりに増加を続けてきた人口が、2008年をピークに減少を始めます。2008年以降、私たちは今まで先祖ですら経験をしたことがない「人口が減少する」という未曾有の社会を生きているのです。人口が増加しなくなる社会というのはどういうものなのでしょうか?それを理解する前にまずは、人口が増加していく社会「成長社会」を理解しましょう。
人口が増加していた「成長社会」とは?
「成熟社会」を理解するために、まずは、成熟する前の社会を知ることから始めていきましょう。成熟する前の社会のことは、「成長社会」と呼ばれています。
昭和を思い出してもらうとイメージが付きやすいかもしれません。昭和の3種の神器と言われたものは何でしたか?冷蔵庫、洗濯機、テレビですよね。それも今のような電気冷蔵庫や全自動洗濯機やカラーテレビなどではなかったはずです。どんな冷蔵庫、洗濯機、テレビだったか思い出せますか?
冷蔵庫は、2ドアの木製の木の冷蔵庫の上の段に氷を入れ、下の段に冷蔵しておきたいものを入れて冷やしましたね。
洗濯機は、槽内中央のかく絆棒を回していましたね。ちょっとしてから、ローラーに洗濯物を挟み付属のハンドルを回して水を絞るものが出てきました。
テレビは、白黒が当たり前でした。チャンネルを手で回したり、叩いて直したりしましたね。今みたいに各家庭に1台ずつではなく、持っている人のところに集まって見せてもらう世の中でした。
思い返してみると当時は画期的でも、今と比べると、全然楽じゃないですね。不便さがたくさんあります。
成長社会では「冷蔵庫がない!」「洗濯機がない!」「テレビがない!」などの不足や、「氷をそろそろ新しく入れないと・・・」「洗濯機がしてくれるのは、ここまでよね」「この人はどんな色をしているのかしら?」などの不便さなど、人々の生活は「ないないづくし」です。
「不足」「不便」の他にも「不安」「不満」「不経済」がはびこり、多様なニーズ(欲求や必要性)や生活に必要なウォンツ(具体的な要求)が溢れていました。ですので、企業は消費者の「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」を解決することに注力していれば、どんどん儲かっていきました。
企業がうまくいくということは、経済が発展していきます。1968年にアメリカに次いでGDPで世界第2位になるくらい、一気に経済成長の坂を駆け上がりました。
この原動力は、日本が産業革命以降、国策として取り組んできた人口増加にあります。人口増加によって労働者は増え、所得も増えて資本も増え、消費者も増えていきます。ニーズがあれば、製品が増えます。製品が増えれば、競争が激しくなり、もっと良いものをと各メーカーはさらに競います。そうして技術が進化し、市場が活発化していきます。
人口増大を前提とし、人々にとって足らないものや欲しいものがたくさんあり、それを得るために切磋琢磨してきた時代こそが〝成長社会〟なのです。
人口が減少していく「成熟社会」とは?
鎌倉幕府の時代からずっと右肩上がりに増加を続けてきた人口が、2008年をピークに減少し始めたことが成長社会の終焉と大きく関わっています。人口が減れば労働者も減り、消費者も減ります。長く成長社会を続けてきた日本は、大量生産・大量消費というビジネスモデルを軸に駆け抜けてきましたが、それでは通用しなくなります。大量生産を基本とした工場は、稼働を減らすことはできても止めることはできません。そうして供給ばかりが多くなり、モノやサービスの価値が下がっていきます。安くて良質が当たり前の世の中となります。「安かろう悪かろう」はもう昔のことですよね。今では、100均で大体の物が揃います。皆様も一度は「こんなものまで100均で?!」と驚いたことがあるのではないでしょうか。
こうして消費者の生活の隅々にまでモノやサービスが行き渡り、「不足」「不便」「不安」「不満」「不経済」という悩みは解消されていきます。持っている人から持っていない人に渡し、渡したものの価値の高さで稼ぐというのが資本主義の根本的な考え方です。しかし、悩みが解消されてしまえば「誰も困っていない」「誰もがそこそこ満足」という社会がつくり上げられます。それが〝成熟社会〟なのです。
消費=幸せではなくなった
人の価値観はおおよそ10代から20代で決まるといわれています。その時期に、どのように生活の糧(主に食料など)を手に入れていたかが、価値観の形成に大きく関わってきます。ものがない、お金がないといったときの、〝困り具合〟がカギを握っているのです。
戦後の成長社会初期は、「不足」「不満」「不便」が蔓延していました。生活の糧を手に入れるためには、市場に行き、購入する必要がありました。冷蔵技術も発達していないため、良いものは早く購入しないと売り切れてしまいます。同じものを多くの人が求めるので、喧嘩にならないように並んで購入するなど、ルールや常識が重要となりました。教育も「みんな一緒」が大事とされ、常識、普通、一般といった目に見えない基準が存在するようになりました。
成長社会中期、バブル経済全盛の時代には、誰も生活の糧に困らなくなった反面、「良い暮らし=幸せ」の「良い」の定義が「快」に向かいました。それまでは、雨風しのげて食べ物があることが良い暮らしでしたが、そうした暮らしが普通になったときに他人との比較は強まり、「快楽の量が多い=良い暮らし」という形に変わりました。「幸せ=消費」の方程式がこの頃形成されます。
しかし、成熟社会に切り替わると、消費し切れないほどのものやサービスに溢れるようになります。例えば、映画やアニメが好きだとしても、レンタルDVDショップにあるすべての作品を見ることは困難ですよね。時間や経済的な面もありますが、その前に、何十何百と見ているうちに、飽きてしまうでしょう。人間には限界があり、限界を迎えると〝飽きる〟という感情で飽和していくからです。ものやサービスに溢れたことにより、「幸せ=消費」の方程式が崩壊します。
情報過多により生き方が多様化する
ものやサービスに溢れただけではなく、成熟社会では、情報にも溢れています。総務省が発行している令和元年度情報通信白書によると、6才以上の国民のインターネット利用率は2018年時点で79.8%と約8割を占めているそうです。インターネットが幅広く普及すると、一人ひとりが世界中から情報を得られるようになります。家にいながら手のひらの上で、得たい情報を得たいだけ得ることができます。「自分好み」に沿った情報だけを集めることで、思考はどんどんと個別化していき、人々が求めることは多様化していきます。情報や知識に偏りが出ます。情報が不足気味だった成長社会では、得られる情報が似通っていたので、それほどの幸せ像に大差がなかったですが、得る情報や知識にバラつきがあれば、当然、求めるものやサービス、理想の生活、あるいは人生の夢、目標といったものが、情報過多の成熟社会では、バラバラになっていきます。
まとめ
ものやサービス、情報が不足していた成長社会では、ロールモデルとなる幸せ像があり、「いい暮らし=幸せ」という方程式が成り立っていました。しかし、ものやサービス、情報に溢れた成熟社会とは、誰も「困っていない」ため、「いい暮らし=幸せ」という方程式が崩れ去りました。幸せは、一人ひとりが自分自身で決めていかなければならない社会なのです。そうした社会で、何が求められているのかを成熟社会の専門家である並木将央監修のもと、今後も本サイトでお伝えしていきます。