米大統領選、カマラ旋風のキーワード"brat”を徹底分析。
日本人だけで理解し合えるCMの言葉遊び、やめません?
テレビと言えば、最近ほとんどNetflixやUnextの世界各国の見たい番組や映画、ニュースはBBC、CNN、とりあえず日本語ニュース番組は、BSの報道1930(←こちらもに様々意義ありですが、とりあえず今回はスルーします。)しか見てないのですが、たまたま先日、久しぶりに地上波番組をちらっと見たら、某大手飲料水企業CMの、年末定番のCMが目に飛び込んできました。
「日本の皆さん、おつかれ生で~す。」
「は?、まだそんなCMやってんの?」と半ばあきれると同時に、英語教育専門家として、強い違和感を感じました。
それが、どう英語教育に関係するのか?
実は、非常に関係していると、私は思います。
この「おつかれ生です。」は、言語的、文化的ににガラパゴスの象徴だと思うからです。
このCMには、日本にしか通じない言語感覚で「ま、いいんじゃない?」そんな空気感が漂っているのです。
もしかして、バブル時代に花咲いた、あのCM文化、過去の栄光にすがっていらっしゃるの?と問いただしたくなります。
いまだ、CM業界の人たちは、バブル当時の、あの業界独特の上から目線の、鼻につく雰囲気、「俺らが一番ハイセンス(←死語ですが。)だぜ。」的な態度でいらっしゃるの?と訝ってしまいます。
そもそも、結局、英国BBCの報道で、ようやく法的な鉄槌が下された故ジャニー喜多川氏による性暴力、
(*現在、元所属タレントがかつて米国で性被害を受けた件で、米国では時効にあたらないため、米裁判所に提訴しています。)
この旧ジャニーズ事務所の未曽有の組織的性犯罪を看過し、その甘い汁を散々吸ってきたCM業界も完全に共犯だと思いますが、なぜその責任が全く問われないか不思議でなりません。
この事例は、結局ガラパゴス的文化は、(G7の経済大国でありながら)、グローバルな人権感覚に相当に無頓着であり続けることの証拠の一つであると思います。
「日本人同士、日本語だけで、空気読み合ってけば、なんとかなるよ~。」という危機感のなさが、潜在的に日本の隅々まで実は浸透していて、結局、抜本的な英語教育改革につながらない、私はそう思っています。
韓国人の英語力は今やアジアNo.1と言われています。
それは通貨危機などを経て、国内市場だけじゃ、韓国語だけじゃやってけない!、という強い危機感から、すでに1997年に金泳三大統領の元、下記のような抜本的な英語教育改革が遂行されたからです。
★小学校3年生から英語が必修科目、
★教育課程において「使える英語、実用的な英語の習得」を明文化された。
★詰め込み教育、暗記中心の教育からの脱却を図る。
この改革により、韓国の英語力は、2017年のTOEFL iBT平均スコアはアジア29カ国中11位となり、これは英語が公用語である香港と肩を並べるレベルです。
また、ASEANの国々、英語が公用語でない、インドネシア、ベトナムも、韓国と同様の英語教育改革を2010年以降に次々着手しています。
いまだ、文法中心、詰め込み中心の英語教育をやっているのは、おそらく、日本だけでしょう。
それは、受験が終わったら全く役に立たない、謎の暗号解読みたいなもんです。
つまりは、「おつかれ生です。」という言葉も、例えば、今や日本の介護、コンビニ、観光業を担い、必死に日本語を勉強している、ヒンズー諸国やASEANから来た在日の外国人の方々にとって、謎の言葉であるのとと表裏一体だと思います。
モノリンガル、モノカルチャーの驕り、いや、それが驕りであることすら気づかない、国際的鈍感さ、とでも言いましょうか。
「おつかれ生で~す。」といいながら、このまま、沈んでいくのか、ニッポンは。
と、例のビールを飲みながら、そう独り言ちた、2024年の年末でした。