死別の悲しみを和らげるグリーフケアとは
― 記念日との向き合い方をやさしく見つめる―
母の日の賑わいに、心がざわつくとき
街に花が並び、テレビや広告でも「ありがとう」の言葉があふれる季節。
母の日が近づくと、その賑わいに、どこか心がざわつく方もいらっしゃるのではないでしょうか。
お母さんを亡くした方にとっては、
「もう自分には関係のない日」と感じたり、
「見たくない」「触れたくない」と思ったりすることも、自然なことだと思います。
実はこの「母の日」、その始まりをたどると少し違った景色が見えてきます。
母の日のはじまりは「亡き母への祈り」だった
1908年、アメリカの一人の女性が、亡くなった母を偲び、教会で祈りを捧げたことが起源とされています。
そのときに配られたのが、白いカーネーションでした。
白いカーネーションは、亡き母への想いを。
赤いカーネーションは、今生きている母への想いを。
同じ「母の日」でありながら、
そこには「いまそばにいる母」と「心の中にいる母」
その両方への想いが、最初から込められていたのです。
その後、1914年にウッドロウ・ウィルソン大統領によって正式な祝日として制定され、
母の日は世界へと広がっていきました。
ちなみに、国によってその形もさまざまで、
たとえばオーストラリアでは、カーネーションではなく菊の花を贈る風習もあるそうです。
日本ではお供えのイメージが強い菊の花。
それを「母の日」に贈る文化があるというのは、少し意外で、でもどこかやさしい違いのようにも感じられます。
亡くなっても変わらない「母とのつながり」
お母さんは、
生きていても、亡くなっていても、
あなたのお母さんであることに変わりはありません。
だからこそ、もし少しだけ余裕があるときには、
白いカーネーションを手に取ってみるのも、ひとつの選択かもしれません。
誰かに見せるためではなく、
ただ、自分の中にある想いにそっと触れるために。
「こどもの日」は、母に感謝する日でもある
「こどもの日」は祝日法で、
「こどもの人格を重んじて、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」
と定められています。
あまり知られていませんが、
実は「母に感謝する日」でもあるのです。
「感謝される資格がない」と感じてしまうとき
たとえ、子どもを亡くされた方であっても、
あなたが「母であること」は、何も変わりません。
それでも、こう思ってしまう方もいるかもしれません。
「自分には、感謝される資格なんてない」
その気持ちも、とてもよくわかります。
そう思ってしまうほど、深く愛していた証でもあるからです。
でも、この日が「感謝される日」と決まっているのだとしたら、
少しだけ肩の力を抜いて、こう考えてみてもいいのかもしれません。
「今日は、そういう日なんだな」と。
無理に受け取らなくてもいい。
でも、もしほんの少しでも受け取れる余白があるなら、
そのまま、受け取ってみてもいい。
そんなふうに、やさしく構えてみてもいいのではないでしょうか。
これからやってくる記念日との向き合い方
これから先には「父の日」もやってきますし、
11月22日には「いい夫婦の日」もあります。
こうした記念日は、ときに、
「もういない」という現実を強く感じさせる日になることもあります。
けれど同時に、
関係そのものは、終わっていないことを思い出させてくれる日でもあります。
親子であることも、夫婦であることも、
かたちは変わっても、消えてしまうものではありません。
だからこそ、
他の人と同じように過ごさなくてもいいのです。
誰かに合わせる必要もありません。
あなたなりの形で、
あなたのペースで、
その人とのつながりに触れる日として過ごしてみてください。
いちばん大切なのは、あなたの気持ちです。
もし、「そんなふうに思えない」と感じたら。
その気持ちを、いちばん大切にしてあげてください。
いちばん大切なのは、あなたの気持ちです。
前向きに考えられない日があってもいい。
何もしたくない日があってもいい。
大切なのは、
「どう思うべきか」ではなく、
「いま、どう感じているか」です。
あなたの気持ちは、あなたのものです。
その気持ちに、そっと寄り添ってあげること。
それが、何よりも大切なことです。


