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ひとりぼっちになってしまった。
心の頼りだったお母さんやお父さんが亡くなってしまったり、一緒に生きてきた夫や妻が亡くなったり、成長を見守っていた子供を亡くしたり、誰よりも自分を癒してくれていたペットを亡くしたり。
その後に訪れるのが、孤独です。
ひとりぼっちになってしまった。天涯孤独になってしまった。
この思いは、ズシンと重くのしかかってきます。考えれば考えるほど、自分をつらくさせてしまいます。
年齢がいけばいくほど、自分の衰えも感じているため、孤独さは増してしまいます。
孤独から孤高へ
辞書で孤高を引いてみるとこんな風に書いてあります。
孤高とは、一人で孤立し、自分自身の世界に閉じこもり、他人とのつながりを持たずに生きることを指す。
まるで天涯孤独のようなことが書いてあります。
ですが、こんな意味もあります。
他人との関わりを持ちながらも自己の信念を貫く人を指す。また、自立した精神的な姿勢を表す言葉。
前者ではなく、後者のような意味で生きることが理想です。
孤独というのは、実際に身寄りがいなくなってしまったということもありますが、一番大きなダメージは心の孤独です。
少なからず人は誰かに依存して生きていますが、親しい間柄や家族であればその依存度は高くなります。この依存度が大きいほど、他の人よりもつらい思いをしているとも言えます。
家族の代わりとなる人はいませんが、新しく代わりになるような人がいたとしても、または現れたとしても、また新たな依存を生むだけです。
では、一体どうしたらいいのか。
それは、自立した自分でいることが一番大切です。
つまり、孤高です。
私が理解している孤高とは、
一人で自分自身と向き合って、自分がどういう人間で、どういうことに興味があるのかを考えることができる人のことを言います。
孤高の人は、自分自身の信念や考え方を大切にし、周りの人たちと比較することなく、自分自身の道を進むことができます。
また、孤高の人は、自分自身を理解し、受け入れることができるという特徴もあります。
つまり、自分自身を大切にし、他人を尊重しながら、自分自身の考え方や行動を自由に選ぶことができるということです。
孤高で生きるために
孤高で生きるためには、まず居場所となるところが必要です。実質的な場所ではなく、心の居場所、拠り所となる場所です。
そこから羽ばたき、また帰ってくる。そして、また羽ばたく。
止まり木のようなものかもしれません。
それは、毎日のように朝行ってきますといって飛び立ち、ただいまと言って帰ってくる場所かもしれません。日曜日に立ち寄ってまた明日からの一週間を送るために、心を休める場所かもしれません。
または、数週間、数か月ぶりに、「ご無沙汰してます」と言って、帰ってくる場所かもしれません。
いずれにしても、離れていながらも心のつながりを感じられる、戻ってきたときは仲間が迎え入れる。そんなところです。
その場所かあるからこそ、孤高でいられる。自立した自分でいられる。
つながりがあるからこそ、生きていける。
そうしてご用意したのが、ここちよ瞑想会です。
あなたの居場所「ここちよ瞑想会」
朝、または夜に、ちょっと疲れたとき、リフレッシュしたい時、ここちよさを味わいたい、つながりを感じたい時に瞑想会にお越しください。
笑顔で迎えます。
この瞑想会はグリーフケアとは関係ありません。ですので、死別に関係ない方も参加されますが、安全な場を作ってお迎えいたします。
ぜひ、つながりに来てください。
ZOOMですので、オンラインでお話することができます。
受付けは、ストアカという学びのサイトで行います。
(会員登録が必要になります)
よい一日をスタート!ここちよい気分で過ごすための朝・瞑想会
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スッキリして寝よう!ここちよく一日を終えるための夜・瞑想会
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ここちよ瞑想会でお会いしましょう。
つながりを持ちながら暮らしていきましょう。
ご参加、お待ちしておりますね。