最愛の母親との死別「母ロス」から立ち直るためのポイント
大切な人を失った時、それが大切な人であればあるほど、その死を受け入れることは困難になってしまいます。これは現実を否定することにより、喪失感からくるショックから自分の心身を守るための働きで、ごく自然なことです。
死を受け入れるには、時間を要しますが、時が過ぎるとともに徐々に落ち着きを取り戻すことができるようになります。死別したことと向き合い気持ちを整理するために、手紙を書くことも回復の助けになります。
受け入れるという事は難しいこと
大切な人を失った時には誰もが大きなショックを受けます。その死が突然訪れたものでも、長く病気を患った末のものでも、天命を全うした別れであっても、受ける衝撃には変わりはありません。それは、死によってもたらされる永遠の別れに対しての準備ができないからです。
突然の死ならば分からないでもないように感じますが、闘病や介護などで長く接した末の別れであっても心の準備はできないものです。
「自分たちの側からいなくなってしまう」ということが信じられず、死を受け入れるのが難しいのはなぜでしょう。最善を尽くした上でやはり命が尽きると分かっていても、心の中では万が一ということに望みを託してしまいます。だからこそ、自分から進んで死を受け入れようとするのは、とても難しいことなのです。
大切な人がいなくなった後の生活がどのように変わってしまうのか、遺された人には想像すらつきません。大切な人が去り、自分たちの世界は全く違ったものに変わってしまったかのように感じます。物の見え方すら異なり、生きる希望のないむなしい世界で生きていかなくてはならないと感じてしまいます。
警戒心が強くなったり、気持ちが落ち着かないなど死別に対する反応はさまざま
死別のショックに対する反応は人によってさまざまです。警戒心が異常に強くなる。混乱して考えがまとまらなくなる。気持ちが落ち着かない。自分が夢の中にいるように感じる。無力感に襲われる。ショックに対する反応は、その人のふだんのストレスに対する反応と似通っていますが、死別の場合はそれが極端になる傾向があります。
ショックに対する反応の中で、死の知らせを受けた時におきやすいのが「死を受け入れられない」というものです。この反応は突然の思いもよらなかった死別の際に頻繁にみられるものです。感情は激しく揺さぶられますが、理性ではまだ死という事実を認めることができません。
周りは動いているけれど、自分だけが取り残されているような感覚で、これは夢に違いない、いつものように元気で帰ってくるはず、などと無意識的に現実から目を背けようとしてしまいます。
あまりにショックな出来事に遭遇すると、現実をありのままに受け受け入れることは容易ではありません。そのため、最初に否定しようとすることはごく自然のことです。このように、現実を信じず否定することは、現実と気持ちの間の緩衝材として、人生で最大の出来事(衝撃)から私たちを守ってくれるのです。
自分を守るために無意識下で行われることで、「愛する人を失う」という耐え難い出来事に遭遇した時に必要とされる大切な働きです。こうした緩衝材となる働きがなければ、悲しみに押しつぶされてしまうことになってしまいます。
受け入れるためのステップ
死別の悲しみの初期段階では、「愛する人を亡くした」ということしか考えられなくなります。仏教の考え方で「愛別離苦」というものがあります。これは、肉親や友人など愛する人と別れる苦しみのことを示しています。
この苦しみは全ての人にやってきます。別れがつらいのは愛があるからです。つらさは愛の証でもあります。ところが、そう頭では理解できても、実際に自分の身に降りかかってくれば、とても冷静ではいられません。
死を受け入れなければ、死別の苦しみからいったんは逃れることができます。このいくばくかの休息の時期に、受け入れるための気力と体力を養うことになります。死を受け入れられない時期は死別して初期の段階です。時が過ぎるとともに、だんだんと落ち着きを取り戻していきます。無理をせず、この段階から現実を受け止めていく準備をしましょう。
悲しみの暗闇にもゆっくりと光が差し込んでくる
死を受け入れるためには時間を要します。悲しみはすぐに消えるものではありません。いつまでも暗い闇の中にいるように感じられますが、ゆっくりと光は差し込んできます。焦る必要はありません。悲しみは、誰もが同じものではないように、立ち直るペースも人それぞれです。
亡くなった人のことを人に話すときに、まだ生きているかのように表現してしまうことがあるかもしれません。遺された人の心の大半を占めているのですから気にすることはありません。現実で起こったことを頭では理解できるようになっても、感情で折り合いがつくのはまだ先の話です。
亡くなった人に向けて手紙を書く
親しい間柄でも死別した哀しみを話すのが臆されたり、まだ辛い段階ならば、手紙を書くのもよい方法です。手紙といっても、実際に投函する訳ではありません。亡くなった人に向けて、心に浮かぶ感情を筆の赴くままにつづっていくというものです。
「生きているうちに、こうしておけばよかった」と悔やんでいること、「本当は言いたかったこと」「分かって欲しかったこと」など。手紙を書いているうちに、自分でも気づいていなかった感情があふれてくることもあります。支離滅裂でも構いません。続けていくうちに、どう話していいかわからなかった気持ちが整理され、素直に表現できるようになっていくのを感じるかもしれません。
これは、書くこと自体が自分と向き合うことにもなっているからです。他人に見せるものではないので、秘密にしておきたいこともマイナスの感情をぶつけても構いません。
ふと湧き上がってきた喪失感が何によってもたらされたのかなども記載しておくと、後から自分で読み返した時に、立ち直るためのヒントにもなります。嵐のようにふきあれる感情も、文章にしていくことで落ち着いついていくという効果も期待できます。ある程度まとまったら、お墓参りの際に仏前で読み上げてもよいでしょう。
死別を受け入れると同時に、気持ちが整理され、亡くなった方と新たなつながりをつくるきっかけにもなっていきます。
グリーフケアカウンセラー 日高りえ