2つの『箸の日』から学ぶ、お箸を手放す作法と心
私のお箸教室・プライベートレッスンには、未就学児から80代の方まで、幅広い年齢層の方がお越しになります。性別も様々です。
レッスンにいらした方々は、次のような思いや経験を抱えていらっしゃいます。
- お箸くらい上手に持てるようになりたい...
- お箸の持ち方が変だと友達から指摘されて...
- お箸使いに自信がないから外では和食を楽しめない...
しかしながら、お箸使いで引け目を感じるのは何故だと思う?という、もう一歩踏み込んだ本質的な質問については、なんとなくイメージがあっても、明確には答えられないという方が大半です。
せっかくの自分磨きの時間ですから、お箸をきちんと扱えるようになった方が良い「理由」や、それによって得られる「利点」を理解できていた方が、より意欲的に取り組めますよね。
このコラムでは日本に根付くお箸文化の視点から、その理由についてお話ししてみたいと思います。
日本のお箸使いは「心の表現」
お箸の国・日本
皆さんは、お食事の際にお箸を用いる文化を持つ民族は案外多いということをご存知でしょうか。
世界にはフォークナイフ食と呼ばれる欧米を中心とした民族や、インドに代表される手食文化の民族がいる中、人口のおおよそ3割ほどいると言われるのが、箸食と呼ばれる、お箸を使って食事をする文化を持つ民族です。
世界人口のおよそ3割もいるならば、箸食文化は決して稀有な文化ではありませんよね。
しかしながら、「お箸の国」と呼ばれるのは日本だけです。
中国や韓国、台湾、タイ、ベトナム、シンガポールなど、他の多くの箸食文化の国ではスプーンを併用しており、モンゴルのようにナイフを共に用いる民族もいる中、スプーンやナイフを用いることなく、お箸だけで最初から最後までお食事をいただく文化を持つ国は、実は日本だけなのです。
そして、日本のようにお箸使いから人となりを見られるという国も他にありません。
例えばどの国においても、はさみやカッターの使い方が少々苦手だとしても下手だなぁと自分で思う程度で、人から練習した方が良いと助言や指摘をされたり、「人となりを見られる!!!」などと心配することはありませんよね。
諸外国の方々にとっては、お箸もそれと同じなのです。
でも、日本人にとってのお箸は違います。
「はし」というひらがな2文字の言葉の発祥は古く、現存する日本最古の書物であり、日本神話を含む歴史書である『古事記』にも「はし」が縁結びのきっかけとして大きな役割を果たします。
そして現在でもお箸は神事において用いられるほど神聖な存在であり、お箸を通じて神様や、かけがえのない数多の命、ご縁と繋がるという考え方をするのです。
日本人にとってのお箸はこのような貴重な存在ですから、単なる食事をするための道具に留まらず、その扱いには人としての心の在り方が表れるとされるのです。
日本のお箸文化の神髄
上に記した通り、他国にとってのお箸が食事をするための単なる道具であるのに対し、私たち日本人にとってのお箸は、心の表現に他なりません。
日本には古来より、世の中に存在するすべてのものに神が宿っているとする八百万の神という考え方が存在します。
そして当然のことながら、毎日向き合う、自らが生き長らえるために不可欠な「食卓」においても、多くの神々が存在します。
日本人にとってのお箸は、自らと、八百万の神々、大切な動植物の神聖な命や、食卓に関わる数多の方々のご尽力、ご縁などを繋ぐ存在であって、また、それらを自らの手で穢すことなく口に運ぶための存在です。
つまり、その扱い方は尊い存在を大切に扱う所作であり、大人になればなるほど、その所作表現は口ほどにものを言うようになります。
例えば「ありがとう」の一言を受けるにしても、そっぽを向いたり、蚊の鳴くような声でボソボソッと早口に言われては、心からの感謝の気持ちを伝えられているとは受け取りにくいですよね。
やはり、目を合わせて、あたたかな声と笑顔で、丁寧に「ありがとう」と言ってもらえてこそ、心からの感謝の気持ちは通じます。
人は、言動を含めた所作表現からでしか、他の人を理解することはできないのです。
粘度の強いお米が主食の日本人にとって、お箸は毎日用いるもの。
生きるための食事の際に用いることで、お食事はもちろんのこと、食事に関わった数多の命やご縁の存在を心に抱き、神聖なままに、感謝や尊敬の心を込めて取り入れることができます。
日本におけるお箸使いは、万物に対して、心に豊かな感謝と尊敬の念を抱き、その心を正しく表現することに他ならないのです。
日本人がお箸を丁寧に扱う時間は、このような所作表現の鍛錬の時間でもあります。
“箸に始まり箸に終わる”という言葉にあるように、お箸は人生に寄り添い続けます。
故にその扱い(所作)には、その人の心持ちや人となりが自然と滲み出るものです。
お箸を大切に扱える人=(イコール)=大切なもの(命やご縁など)を大切にできる人
「お箸使いは人となり」なのです。
お箸使いは自己表現
他人から見て心地良くみえないお箸使いというのは、例えば次のような印象を与えてしまうことがあります。
- 大切なものを丁寧に扱えない人なのかな
- モノを乱暴に扱う人なのかな
- 周囲の目を気にせず、自分本位な人なのかも
- 自分を磨こうという意識があまりないのかな
その理由は上述した感覚が日本人には自然と根付いているからです。
お箸に留まらず、スマホでも書類でも、何かモノを取り上げたり、持ったりする際、5本の指がばらばらに開いているよりも、揃って寄り添っている方が、美しく見えるものです。
そして、指は丸まっているよりも伸ばしている方が長く美しく見えますし、脇が開いているとどこか子供っぽかったり、おうへいに見えがちなので、自然に閉じている方が断然気持ちがよかったりします。
こうした手指の動きの違いは、気持ちの良い所作の基本に深く関わり、思いのほか他人への印象を左右するものです。
そして、それを意識できるか否かは、あくまでその人のセンスに依ります。
未就学児であれば別ですが、ある程度自らの意思をもって行動できる年齢に達したなら、その所作如何は自分次第です。
とはいえ「所作を磨く」というのはどこか漠然としていて、日常の中で意識したり、鍛錬するというのはなかなか難しいものです。
この点において、お箸使い・所作を磨くことは大いに役立ちます。
お箸を取り上げる際の指先や、何度も上げ下げをするお箸や器を持つ指、持ち上げている際の手から腕、何より食事の間中の姿勢。
これら全ては、日常の様々な動作に通じる共通する所作です。
毎日、一日3回、一食あたり数十分。
その積み重ねが、あなた自身の立居振舞いとなって表れます。
あなたはどんな人でありたいですか?
* * *
いかがでしたか。
箸使いは大切であるという理念は、令和の時代になってもなお生き続けています。
それには、このような日本のお箸文化特有のワケがあるのです。
丁寧なお箸使いは、心が乱れている時に、心を整えることにも役立ちます。
お箸使いは、正しい知識と意識(意欲)さえあれば、何歳になっても正せますし、その所作もどんどん磨くことができます。
もちろん人それぞれ指の長さ太さ、手のひらの大きさやバランスは異なりますが、人の身体の一部ですから、神経や筋肉を正しく鍛えれば良いだけなのです。
日本のお箸文化には、もっともっと様々な面白い文化的な話がございますので、ご興味をお持ちいただけましたら嬉しく存じます。



