「人となり」が変わる?『いただきます』『ごちそうさまでした』から始める教養と感謝力

浅海理惠

浅海理惠

テーマ:お箸を知る、丁寧に暮らす

世界の箸食文化圏の中でも特異な文化を育んだ日本。
私たちが何気なく行っている日々のお箸使いには、自らの温かみある気持ちを正しくお相手に伝えられるよう、自らを振り返ったり、磨く機会も秘められています。
その一つがお食事時のご挨拶「いただきます」と「ごちそうさまでした」です。
今回のコラムではこのご挨拶を、お箸文化の視点からお伝えしていきたいと思います。

ご挨拶の向こうには

日本人は必ず「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言葉を口にして、お食事の前後にご挨拶をします。
しかしながら実は食前や食後に挨拶をしない文化を持つ国も多く、また挨拶をする場合も、その挨拶は「信仰対象」に向けられます。

一方で、日本における食事前後のご挨拶は、目の前に並んだ沢山の命、そしてその命にかかわってくださった数多の方の汗や想い、費やしてくださった時間や努力、技能や知識など、全てのヒト・モノ・コトに対して尊敬の念を抱き、またそれらとのご縁に対して“感謝”の気持ちをお伝えするものです。

毎食日本人が唱える「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、大切な命やご縁を心に刻む言葉であるだけではなく、“尊敬”や“感謝”の念や心、想いを、いかに言葉と態度で示すかという大切な所作表現のひとつなのです。
だからこそご挨拶の前に、お箸を取り上げたり、ぞんざいに言い捨てようにご挨拶をするという行為も行ってはいけないのです。

先のお食事のご挨拶の折、

― 腕や脚を組んでいませんでしたか?
― お食事に正対してご挨拶できていましたか?
― よそ見をしていませんでしたか?
― 口先だけでのご挨拶になっていませんでしたか?
― 言葉を丁寧に発しましたか?
― 尊敬や感謝の念を伝えるお相手を想い描いてご挨拶できていましたか?

「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、姿勢を正し、丁寧に口にすべき言葉です。
相手の目を見なければ、感謝の気持ちは伝わりません。
投げやりな言い方には、心の温もりは宿りません。

お食事の前後、あなたは心を込めてご挨拶ができていますか。

想像力を磨く―鍛錬の機会

ご挨拶には、
・目の前のヒト・モノ・コトなどへの感謝を抱くこと
・目に見えていない関係するヒト・モノ・コトを想像する力を養うこと
・目に見えているか否かを問わず、お食事に関わった全てのヒト・モノ・コトへ想いを馳せ、寄り添うこと
・あらゆるヒト・モノ・コトへの尊敬の念を養うこと
・あらゆるヒト・モノ・コトへの感謝の念を養うこと
など、多くの自分磨きの要素が含まれています。

何気ない日頃からのクセとして、時間を流すようにご挨拶を口にするような人は、日頃の感謝の言葉も、他の事をしながらだったり、そっぽを向いていたり、相手に聞こえるか聞こえないかというような音量でしか、伝えられていないでしょう。
そのようなご挨拶は、まさに単なる形式的な行為に過ぎません。

一方で、心を込めて、丁寧にお料理に向かい合いご挨拶ができている方は、日頃も、お相手と正対し、目を合わせて、表情も和やかに、感謝の言葉を伝えることができているでしょう。

そうなのです。

日本人は一日三回「いただきます」と「ごちそうさまでした」を唱えることで、尊敬や感謝の気持ちを正しく言葉にする術を磨きます。
食事前後のご挨拶という所作は、単なる手順に留まらず、こころの在り様として表れ、「人となり」としてあなたに沁み込むのです。

心からの感謝の念を抱き、その気持ちをお相手に正しく表現をしつつ伝えるということは、コミュニケーションの基本。
そして、袖触れあう程度の軽い間柄から深い深い間柄まで、上下関係も年齢も性別もお国柄すら問わず、「人」として大切な所作、それが「感謝の念を抱き、きちんとお相手に伝える」ということです。

一日三回、感謝の気持ちを大切に抱き、心を込めて言葉を発するという所作によって、私たちはこの大切な「人としての基本所作」を磨き上げているのです。

想像力を磨く―食と繋がる「他者」への感謝

目の前のお料理に、どれだけの人が関わってくれたと思いますか?

そんな質問をすると、たいてい出てくるのはこの程度です。
・お食事を作ってくれた人
・農家さん(畜産・野菜)
・漁師さん(水産物)
・販売してくれる人

でも・・・
新鮮な食料が手に入るには、冷蔵・冷凍設備を考えてくれた人、設計してくれた人、製造してくれた人、運搬してくれた人も必要ですよね?
漁に出るにも、船もエンジンも様々な道具も必要じゃない?それって自然と湧き出てくるもの?
スーパーでの買い物だって、真っ暗な中では買えないですよね?電気も、個包装にしてくれる人も、陳列してくれる人も、値付けしてくれる人も、会計のレジの機械に関わる人も・・・。
お料理も作ってくれる人だけでは成り立ちません。
お鍋やフライパンを始めとした各種の調理道具がなければお料理はできませんし、ガス、電気、レシピ、調味料、も必要、そしてそのためにはそれらを購入するためのお金も必要で、稼いでくれた人もいて・・・。
稼ぐためには、仕事をして、仕事をくれる人がいて・・・
その他にも、沢山、挙げていけば数え切れないほどの人の手や知恵、知識や技術、労働力や思いやりが含まれていませんか?

目の前のお料理を前にしたとき、どれだけの「ヒト・モノ・コト」を想像できるかー。
私たちが口にする一食には、数え切れないほどの縁と労力が込められていることを実感できるかー。
それがとても大切なことなのです。

日本の主食であるお米は、八十八の工程が必要であるということから、米(八・十・八)という漢字が成り立ちました。
しかしながら「米八十八の手間」という言葉は、単にその工程数を数えたものではなく、お米作りに対する尊敬や感謝の念が表されているのです。
農家さんは皆、日々自然と向き合いながら成長を観察し、愛情を込めて世話をし、育ててくださっています。
その想いやご尽力に心を寄せ、想像しながらいただくご飯は、格段に美味しく感じます。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」のご挨拶の際、どれだけのヒト・コト・モノを想像し、想いを寄せることができるか――
それによって、美味しさも、消化ぐあいも、全く異なります。
このように、目の前の一皿が届くまでの壮大な物語に思いを馳せること。それこそが、「いただきます」「ごちそうさまでした」が育む、他者への深い感謝と想像力なのです。

想像力を磨く―「自分自身」と未来への責任

お箸使いで大切な想像力とは、(1)に記したような他者を指すことがほとんどです。
しかし、私はもう一点、必ず大切にして欲しい視点があります。
それは、あなた自身。

沢山の命やご縁によって、あなた自身が健康でいられたり、生きながらえたりすることはもちろんですが、そのような神聖なお食事を、バランスよく摂ったり、よく噛んでいただいたりすることで、「あなた自身も誰かのためになっている」ということを考えたことはおありでしょうか。

もしもご家族がいれば、あなたが心身ともに健やかでいることが、何よりの家族の支えとなるでしょう。
例えば稼ぎ頭が倒れては家計が成り立ちませんし、家事で家族を支えているならば、身体を壊しては家族の生活がままならなくなります。

また、お仕事に従事されている方ならば、あなたが健全な心身で取り組むことが、業務の効率化に繋がったり、お仕事によっては、他の人の健康や命にも影響を及ぼしていることでしょう。
例えば、パイロットの方が飛行途中に急に体調を崩されたりしたら?
納品を待っているクライアントがいるのに、体調不良でその仕事を納品できなかったら?

人は一人で生きているということはありません。
必ず誰かに関係しながら、誰かと繋がりながら、生きています。
あなたが健康でいることは、ひいては、誰かの喜びや幸せや安寧に繋がっているのです。

「いただきます」や「ごちそうさまでした」のご挨拶をする時には、自分自身の行いや振舞いを振り返り、自己と向き合う時間でもあるのです。
つまりは、ただ目の前の食事に感謝するだけでなく、自分自身の心身を大切にすること、そしてそれが繋がる未来への責任を再認識する、貴重な機会なのです。

忙しい日常の中で

ご挨拶の際、是非、ゆっくりと空気を吸い、深く息を吐きなら「いただきます」「ごちそうさまでした」と口にしてみてください。
生活や仕事に追われ、早い時の流れの中で日々を送っている人は少なくないことと存じます。
時間に追われ、椅子に座ることすらできずに、お食事をとらなければならないこともあるかもしれません。
でも、食事前後のほんの数秒、お箸という結界で分けられた神域と俗域とに正対し、ゆっくりとご挨拶をしてみてください。
深い呼吸で丁寧に口にした「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、驚くほどのに心を落ち着かせてくれます。

さてその時。
あなたの手は、膝(腿)の上にありますか?
その場合は完璧です。

もしも顔の前で手を合わせているという方。
その場合、どちらになさっていますか?
拝み箸
Aは、ただ手を合わせる仕草。
Bは、お箸を両手の親指の付け根にはさみ持つ仕草です。

この時、問題ないのは「A」です。
「B」は所謂「拝み箸」といって、やってはいけない箸使い(忌み箸・嫌い箸)の一つとなります。

先に申し上げました通り、お食事前後のご挨拶は、尊敬と感謝の表現です。
よって、手を合わせてその想いを伝えてはいけないなどということは決してありません。
しかしながら、ご挨拶の前にお箸を取り上げるという所作は、お箸を横に配膳することで表現した神聖なお食事と私たち俗なるものの境をご挨拶なしに壊し、ないがしろにする、大変不躾な行為なのです。
また、仏教においてお数珠を両指にかけて合掌することは正式な作法ですが、お箸をお数珠に見立てる作法はなく、また、お数珠以外のものを手にして行う所作も合掌にはありません。
お箸は「いただきます」のご挨拶の後に取り上げ、またお箸をおいてから「ごちそうさまでした」と、心を込めて、丁寧にご挨拶しましょう。



いかがでしたか。
たかが挨拶。されど挨拶。
日本の「いただきます」と「ごちそうさまでした」のご挨拶の文化は実はこのように奥深いものなのです。

次のお食事の折から、皆さまの心持ちが変わりましたら嬉しく存じます。

リンクをコピーしました

Mybestpro Members

浅海理惠
専門家

浅海理惠(マナー講師)

Les Misera Culture School

お箸使い教室は、個々人の癖、指の長さや手の大きさ、筋肉の付き具合に合わせたマンツーマン指導。マナーや所作の根底にある文化や心の面にまで踏み込んで導き、講演や講義も行う。風呂敷教室は、自己表現を重視。

関連するコラム

プロのおすすめするコラム

コラムテーマ

コラム一覧に戻る

プロのインタビューを読む

お箸と風呂敷を通して日本人の心の表現を伝える伝承師

  1. マイベストプロ TOP
  2. マイベストプロ東京
  3. 東京のくらし
  4. 東京の文化・教養・カルチャー
  5. 浅海理惠
  6. コラム一覧
  7. 「人となり」が変わる?『いただきます』『ごちそうさまでした』から始める教養と感謝力

浅海理惠プロへの仕事の相談・依頼

仕事の相談・依頼