2023年に考えた3つのこと
この4月から社会人となるZ世代の息子が正月休みに帰省していたので、様々なことについて話をしました。話をしたというか、意見を求められたので考えを述べたというのが正確かも知れません。子供だと思っていたのに結構考えているんだなぁなどと感じつつ、老害かも知れない勝手なことを述べました。内容を抜粋・追加してご紹介します。もちろん親バカと揶揄されるのは重々承知しております。
なぜ多様性を尊重しようとするのか
最近、色々な場面で「多様性」とか「ダイバシティー」という言葉を耳にします。日本でダイバーシティーの考え方が認識され始めたのは、1980年代から1990年代にかけてと言われていて、男女の雇用差別などが問題になっていた時期と重なります。この頃には、雇用差別を是正するための法律が次々と制定されました。 1985年には「男女雇用機会均等法」が制定され、職場における男女の雇用の差が禁止されました。
多様性を尊重するとは、各個人それぞれの考え方に違いがあることを尊重するということであって、その違いが、例えば所属する組織に必ず受け入れられるということではないことを理解しておく必要があると思います。組織としては、各個人の考えが不正解ではないと認めつつ、組織の理念や方針等に則って、受け入れる選択を行うことになります。多様性を認める社会は、全ての人の意見が反映されるわけではないということを理解しておかないと、逆に不満が募る可能性もあります。
ところで、春が待ち遠しい季節ですが、もうしばらく季節が移り変わるのを待たなければなりません。日本の春の象徴とも言える桜のうち、最も有名な桜であるソメイヨシノは、日本各地でその美しく儚い姿を見せてくれますが、遺伝子レベルでは同じだそうです。要するにクローンです。クローンなので、ほぼ同時に開花するということですが、同じ遺伝子組成では耐病性も同じであるため、伝染病が流行すると一斉に枯死してしまうこともあり得るということであり、他の桜の品種を植えようとする動きもあるようです。ちなみに「好きな男性ランキング」で15年連続1位を記録したキムタクと私の遺伝子は、99.9%同じということも強調しておかなければなりません。
ヒトの遺伝子は、99.9%が同じであるとはいえ、例えば今回の新型コロナウイルスの感染が拡大した時でも、感染した人の症状が様々であるのは、外部環境も影響しているとは思いますが、遺伝子が様々であるからだと思っています。仮にヒトの遺伝子が全て同じであったら、同じ症状であるとか、全く感染しないということが世界で一斉に起きてしまいます。感染症の性質によっては、ヒトが絶滅してしまうかも知れません。このような状態は、ハイリスクだと言わざるを得ません。多様であることに価値があることの証左であると言っても良いと思います。社会環境がめまぐるしく変化する上、不確実性も高まっている時代であるからこそ、多様性を尊重しようとしているのではないかと考えています。
少子化問題について考える
「異次元の少子化対策」とは具体的には何なのかと話題になっています。少子化対策は、令和2年5月29日に閣議決定された「少子化社会対策大綱」に基づくもので、総合的かつ長期的な少子化に対処するための指針として策定されたものです。ご存知かも知れませんが、その大綱の冒頭部分を少し抜粋・加筆してご紹介しておきます。
『少子化の進行は、人口(特に生産年齢人口)の減少と高齢化を通じて、労働供給の減少、将来の経済や市場規模の縮小、経済成長率の低下、地域・社会の担い手の減少、現役世代の負担の増加、行政サービスの水準の低下など、結婚しない人や子供を持たない人を含め、社会経済に多大な影響を及ぼす。時間的な猶予はない。今こそ結婚、妊娠・出産、子育ての問題の重要性を社会全体として認識し、少子化という国民共通の困難に真正面から立ち向かう時期に来ている。少子化の背景には、経済的な不安定さ、出会いの機会の減少、男女の仕事と子育ての両立の難しさ、家事・育児の負担が依然として女性に偏っている状況、子育て中の孤立感や負担感、子育てや教育にかかる費用負担の重さ、年齢や健康上の理由など、個々人の結婚や出産、子育ての希望の実現を阻む様々な要因が複雑に絡み合っている。こうした状況を受け、これまでも幼児教育・保育の無償化や高等教育の修学支援など、子育て支援を拡充してきたところであるが、引き続き今行っている施策の効果を検証しつつ、こうした希望の実現を阻む 隘路(あいろ=進行の難所)の打破に強力に取り組み、個々人の希望の実現を後押しするとともに、結婚、妊娠・出産、子育てに希望を持つことができる環境づくりに取り組むことで、多くの人が、家族を持つことや、子供を生み育てることの喜びや楽しさを実感できる社会をつくる必要がある。』としています。そもそも少子化は、簡単に言うと、何もしないと人口が維持できないことであり、少子化対策は、人口が維持できないことを是としないことが前提です。
農業が中心であった頃の日本は、農業に適した土地を子孫に譲り、その土地や家を代々継承していく社会でした。親が跡取りに土地を継承し、その跡取りが次の跡取りに継承していくという、いわゆる大家族制です。家を継承し、拡大するためには、子供を産み育てることが当たり前でした。しかし社会が成熟した現代では、核家族が一般的であり、親と子が別の家で住む社会になっています。墓も永代供養となり、生まれ育った土地に縛られる理由がなくなってきました。社会環境がめまぐるしく変化する上、不確実性も高まっている時代に、たくさんのパワーを必要とする子育てを選びたいとは思わないのかも知れません。
もはや日本人は、レッドデータブックに掲載され、異次元の少子化対策によって生息数を維持する種になってしまったのでしょうか。最初の総合的な少子化対策である「エンゼルプラン」がまとめられたのは1994年ですから、約30年間の少子化対策でも劇的な効果があらわれていません。私個人としては、今回の異次元の少子化対策と並行して、高度成長期に構築された人口増を前提とした仕組みを見直し、少子化を嘆くのではなく、人口減を受け容れ、足りない労働力をAIやロボットに置き換え、様々な公的サービスやコストを最適化し、ICTをフル活用した新たな社会を再構築するような方向も同時に考えて良いのではないかと感じています。異次元の少子化対策が背水の陣では、若者たちがかわいそうです。
まとめ
年末年始に放言を重ねてしまった訳ですが、世の中では、多様性を尊重するという立場と無関心でいる立場が混同されているような印象も持ちます。無関心でいる立場とは、その人の属性について、とやかく言うのは褒められる話ではないから、掘り下げるのをやめる代わりに、自分の属性に関してもつべこべ言わないで欲しいという立場です。これでは多様性を尊重したことにはならないと思います。私たちが生きる世界には、自分とは異なる人々が確実に存在します。たとえ、自分が苦手だと感じる人たちも、社会の中でそれぞれの役割を果たしておられ、存在する意味があるという前提に立って対話を試みることで、お互いの理解が深まるのではないかと思います。その上で、お互いの多様性を尊重し、多様な個が関わり合うことで、少子化問題をはじめ、様々社会課題等を乗り越え、私たちの社会がさらにより良いものにアップデートされるのだと思います。