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深田倍生

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深田倍生(ふかだますお) / ITコーディネーター

株式会社テクノプロジェクト

コラム

炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~

2023年10月31日

テーマ:その他

コラムカテゴリ:ビジネス

 ご存知の方も多いと思いますが、10月1日でアントニオ猪木さん(以降、敬意を込めて猪木と呼びます)が亡くなって1年が過ぎました。2020年に難病に冒されていることをSNSで公表され、闘病生活を続けながら動画サイト等でも発信を続けておられました。動画サイトのレコメンドで、時々チェックさせていただいていましたが、いつの日か、「元気ですかー!」という声で復活されるのではないかという祈りにも似た期待も虚しく、旅立っていかれました。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。

猪木との出会い

 今はBSで観ることができますが、私が小学生の頃にもテレビでプロレス中継を観ることができました。しかも1週間に2回です。具体的には、「ワールドプロレスリング」と「全日本プロレス中継」です。猪木は「ワールドプロレスリング」で観ることができました。プロレス団体の大人の事情で色々あったようですが、小学生の私には、血まみれになって敗戦ギリギリのところで逆転勝利を掴み取る猪木と、ウルトラマンや仮面ライダーのようなスーパーヒーローとを同じものとして観ていたように思います(もちろん、ジャイアント馬場さんの16文キックに対戦相手が吸い込まれるようなシーンや32文ロケット砲にも心を揺すぶられてはいました)。
 私はプロレスマニアではないので、正確かは自信がありますせんが、プロレスラーが登場する際には、当時から必ず入場曲が流れていました。しかも、テレビ中継の次週の試合予告等は、BGMに入場曲を使って格好良く編集されていたので、小学生の私にとっては、入場曲はウルトラマンや仮面ライダーの主題曲と同じ位置づけでした。対戦相手に連続して大技を決められ、頭から血を流しつつも戦い続ける姿は、ウルトラマンのカラータイマーが赤く点滅しているのと同じでした。その時に私の頭の中で流れるのが、タイトルの「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」でアントニオ猪木の入場曲でした。猪木はギリギリまで追い詰められるのですが、最終的には逆転フォールを決めるのです。試合に勝利し、レフリーに手を挙げられる際の「ダァー!」は、一緒に叫んでいたかも知れません。

政治家アントニオ猪木

 プロレスラーとしての活動を続けながら、1989年、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結党し、参議院議員となっています。史上初のプロレスラー出身の国会議員となったわけですが、キャッチコピーの「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」は、そこそこ分別のつく年齢になっていた私にとっては、どういう意味なのかなぁと思ったことを覚えています。
 1990年の湾岸危機の際、当時クウェートにいた日本人41人などが事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にされました。政府間の人質解放交渉は難航しましたが、猪木がイラクで「平和の祭典」を行うことを発表し、外務省はこれに難色を示したそうですが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーターし、関係者や人質被害者の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入り、イベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放されたのだそうです。報道によっては、猪木の努力で日本人人質が全員解放されたとするものもありますが、実際には猪木の尽力で帰国が可能になった日本人人質は41人であり、その後、サダム・フセインの「クリスマスプレゼント」で155人の日本人が帰国しているそうです。また、その1か月前には中曽根元首相がサダム・フセインに直談判して、74人を帰国させることに成功していたそうです。
 猪木が政治家としてどうだったかは、私は専門家ではないので分かりませんが、少なくとも、正しいと考えたことを行動に移す行動力は、見習いたいものだと思っています。

壁にぶつかった時

 長い間、人間をやっていると、必ず壁にぶち当たります。壁は成長のきっかけだと思って乗り越えようとするのですが、壁が高かったり厚かったりすると、どうしても思い悩んでしまって立ち止まることもあります。しかし、周囲には結果を求めてくる人がいるので、その人を待たせることもストレスになり、次第に他の事柄も滞り、時間は過ぎていくのにアウトプットできず、どんどん深みにはまってしまうという”デス・スパイラル”に陥ってしまうことがあります。昼夜関係なくその壁のことを考え、毎日何度も溜め息をつき、休日も思い悩んで、挙句の果てに夢にまで出てきて眠れなくなり、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)は下がる一方になります。次第に壁のことよりもストレスのことが前面に出てきて、自分の気持ちが落ち込んでいることにフォーカスするようになってしまいます。皆さんの中にも大なり小なり似たような経験をされているのではないでしょうか。冷静に考えてみると、あーするとこうなるかも知れない、こうするとあーなるかも知れないと当然の帰結かのように結果を想像して立ち止まり、何も行動していない時にこうした状態になってしまうように思います。実は、どうすべきかは分かっていて、行動していないことに原因があるということに気づきます。
 行動することは必ず結果を伴うので、一歩踏み出すには勇気が必要になります。どんな結果も受け入れるという覚悟とも言えます。勇気や覚悟も持てていないから立ち止まってしまうのですが、そんな時に私は、猪木に力をもらうことがあります。頭の中で「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」を流すのです。勇気を持って対戦相手が待つリングに向かっていく猪木の姿を自分と重ね合わせ、どんな結果が待っていようとも覚悟を持って行動することを促すきっかけにしています。
 皆さんに「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」を聴いてほしいわけではありませんが、勇気と覚悟を持って壁に立ち向かっていくきっかけを与えてくれるものを持つことは、とても大事なことではないかと思っています。

 実は、「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」の他にも、猪木の言葉で勇気をもらうことがあります。プロレスマニアの方々には当たり前かも知れませんが、猪木の引退スピーチで披露されたものです。元ネタは清沢哲夫という哲学者の詩だそうですが、猪木の「道」をご紹介しておきましょう。

この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

私は、「迷わず行けよ 行けばわかるさ」という一節が好きなのですが、引退スピーチでこの「道」を紹介する前の発言である「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。」という言葉にも薫陶を受けています。

まとめ

 私は熱狂的なプロレスファンではありません。もちろんプロレスを観戦しに行ったこともありません。どちらかというと、父と一緒にテレビ観戦した具志堅用高やアジア初の2階級での4団体王座統一が期待される井上尚弥などの強いチャンピオンが生まれたボクシングの方が好きなのですが、やはりストーリー性が強いプロレスも時々観ています。
 ところで、今回述べたような壁にぶつかって立ち止まった時にどのように考えれば良いのかという境地に達するのがもっと早ければ、何かが変わったのかも知れませんが、特に後悔はありません。これが私の人生だったのだと思います。しかし、少なくともこれから人生を歩んでいく若い人たちには、ケーススタディーとして伝えていきたいなと思います。

この記事を書いたプロ

深田倍生

ITと企業経営両方の知識を持ち、企業のIT化を支援するプロ

深田倍生(株式会社テクノプロジェクト)

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