精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす第四章-2
第四章 欲望とa 『6_見えないもの』
祈りに在るもの

欲望には形のあるものと、形の無い欲望がある。後者を祈りという。人間で最も尊い崇高な概念は祈りである。
人は努力したり、学んだり、忍耐と継続を諦めないで立ち向かう、強い意志で生きていく姿は美しい。しかし、それ以上に、形も言葉もなく、その姿から発せられる気によって表れるものが、「祈り」である。内声言語は聴こえないが、祈りの言葉は、外に向かって放出されるエネルギーがある。それを感知するセンサーも方法も存在しない。在るのは、祈っている本人の心だけである。その心だけが、祈りの意味を知っている。
見えるものだけを信じ、頼って生きている人間にとって、見えないもの知覚できない対象の存在を想像することは不可能である。それ故、言葉にしない祈りは、全く想像もつかない。
他者の幸せを祈る 4つの心の構造

祈りは善念や呪文や念仏、ましてや呪いとも違う。根幹は、他者の仕合せを念じ、それを言葉にすること。自分の幸せはさておき、他者の幸せを最初に祈る心とは、一体どんな欲望であろう。
それが出来る一つの構造は考えられる。それは、私が欲望のままに生き、幸せのど真ん中に居ること。ならば、いくらでも他者の幸せを祈れる。
二つめは、勿論自らも幸せで居る。その私が、幸福になる方法を知っているとする。ならば、他者にそのメゾットを伝えない訳がない。
三つめは、使命感を持っている。人を幸せにする役目を授かって生まれて来たという確かな想いを持ち、それが自分の生きる道と決めているなら、必ずその方法を伝えるであろう。
四つめは、共に幸せになろうよと、皆でそれを享受したいと思う人。その願いを心の中に灯し続けている人なら、きっと祈りを捧げるに違いない。
人としてどう生きたか! 生まれて来た理由 を証明するのは
欲望は満足や享楽だけを求めて設立されるものではない。主体が存在するための要件でしかない。それが欲望を持つ意味である。そして人間である証明である。
人間とは、唯生命を維持して生存しているにあらず、人は人としての意味を生きてこそ、生命を超えた存在になる。存在している事が人間の使命ではなく、人としてどう生きたかが、人が生まれてきた理由である。それを証明するのが、欲望を持ち、それをどう達成し、実現したかで、生まれて来た価値は決まる。
すべての人が何事か成し得るその人だけの欲望を持っている。二つと同じ欲望は無い。それは、二人と同じ人間は居ないということ。唯一無二の存在が人間なのである。顔形や性格は似ていても、私と同じ運命の人は私以外に存在しない。皆各々、自分自身を生きる。
物真似や他者の生き方のコピーで生きることは出来ない。その絶対差異をつくるのが、欲望である。皆人は、私だけの欲望を持ち、それを叶えるために生きている。だからその成就に感動や快楽が伴うように体は使われている。快ホルモンが噴出し、エクスタシーを感じることが出来る領域に、欲望は位置する。そこに向かって主体は運動を続け、生命を育んでいく。それがこの世のシステムである。
善は急げ!

もう一度ここで、欲望とは何かを問いかけてみよう。欲望は抹殺された主体が、逆説的に死体として現実界に顕れたものである。そうしたかったのに、禁止や抑圧、否定によって主体が抹殺された形で、意識や無意識界に文字や言葉として表れたもの、それが欲望である。例えば、青春時代遊び惚けたかったのに、受験勉強で出来ずに、中年以降不良なる人等である。これを遅れて来た青春という。分析ではよくある出会す事例である。
人は今を生きなければ、生きる時はないのである。善は急げ。
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