精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす第二章-4
第四章 欲望とa 『3_幸福とは』
人間の営みと自然の営み
人間の営みとは何か。そんな問いが浮かぶ。種においてその問いはない。それは「保存」という意味が一つあるだけだから。だが人類は、種の保存よりも「進化」が、文明・科学の進歩に置き換えられて、突き進んで、高度な文明を築き上げて来た。その結果、工業、産業、商業、経済と社会組織を作り上げ、芸術・文化も発展させて来た。
物質世界は巨大に複雑化し、精神世界は分野を広げながら、新しい文化を創造し続けている。それは止まることはない。
人間は大脳新皮質のおかげで、知性を、論理的志向力を、創造力を各段に発達させて、新たな世界を構築している。今尚その進歩は止まらない。
一方生物達は自然に適応することで、ほぼ元型のまま、何億年も生き延びている。自然に合わせ、調和して、自然と共に生きている。人間は、自然を操作して、自然を人間に合わせて作り変え、加工しながら、人間自身は何ら変わることなく、自然の営みを無視して人間の都合と快適さだけを求め、自然を改造してしまった。
人類が生きるべき2つの道

そこで生じたのが温暖化である。その自分本位人間本位の生き方は、自然を元の自然に戻せないという結果を生んでしまった。適者生存の摂理を人間は壊してしまった。それは、この宇宙をつくり、星をつくり、太陽系をつくった創造主のプランを壊したのである。
それに気付かず、人は人として生きていかねばならない。そんな時、人本来の営みはどうあるべきなのか、今改めて問い直したい。
これから人類はどう生きるべきなのか。道は二つある。
一.人類の為に生きる
一.個に従って生きる
換言すれば「We」としていきるか「I」として生きるということになる。答は各々が決めるであろう。いずれの選択にしても、今直ぐ決めなければならない。
人間にとっての幸福とは何か
しかし、どちらを選ぶにしてもその先にあるものは、人間の幸福である。人間の幸福とは何かに問いが変わってしまった。勿論動物には言葉・言語・記号(シンボル)の概念がないので、「幸福論」はない。唯、快・不快はある。安全と危険もある。それは生存に必要な項目であり、幸福感という意味は持たない。よって動物と人間を比較論的に語ることは出来ない。あくまで人間にとって幸福とは何か、になる。
九死に一生をえた人や、死の淵から生還した人などは、生きているだけで幸福であり、奇跡と感じて生きているだろうが、平凡な人にとって、人生の幸福とは何なのか、答えられる人は居ない。全ては安全と危険による差異が基になり、それが、幸運と不運になり、助けられたか見放されたかになり、守られたと見捨てられたになり、そこで幸・不幸が確定する。
人間は、それを目指したのでも欲したものでもない現象の連続の中で生きている。その必然の流れの中に、個としての「私」の願いを未来に設立するが、流されるままに生きるか、不本意なままに流されつつ生きるか。いずれにしても人生というその流れに沿って生きていくしかない。
その途次、自分が流れをつくり、自分が求める場所へ辿り着けたなら、それを幸福というのであろう。
幸福への目印「a」

それには、目指す場所と、そこへ至ろうとする強い意志と、どうしても辿り着きたいと思う強い欲望と心の支えが必要である。
ラカンはその場所と目印の文字を「a」と表した。その場所を「享楽」といい、「a」を対象aと言った。そのaの牽引により、「私」は導かれ、背中を押されながら、「個」として生き、結果、それが人類のため、即人類の幸福につながっていれば、こんなしあわせなことはない。
4-2『自分を生きる』⇦ ⇨ 4-4『痕跡』
➩ セラピストの格言
➩ 精神分析家の徒然草




