精神分析は精神科学に基づき心の病を癒し人間の謎を解き明かす第一章-1
第三章 精神世界の構築 『5_生き甲斐』
人間が向かうべき場所はあるのか

Φ(ファルス)には➜がある。
何処を目指しているのか。その未来に広がる時間と空間をどう操作するのか。そこへ行く手段と地図を持っているのか、Φは。
そもそも向かうべき場所が人間にはあるのか。そこはこの地上にあるのか。又は別次元に在るのか。
もし仮にあるとして、そこに何があるのか。人間に生と死がある限り、そこで起こることは意味がない。そもそもそこにその主体が無いのだから。Φが目指す➜の先にあるのは、永遠である。有限な存在の主体において、永遠を知ることは永遠にない。即ち不可能こそ永遠だとΦは言っている。
永遠に理解できない謎:女性
曰く不可能とは不可解と訳していい。それは「女性」である。永遠に理解できない対象は「女性」である。ラカンの記号でいえば、「a」である。そしてラカンは言う。女性にとっても「女」は不可解な謎であると。
Φは男の主体に無いものを持っている訳ではなく、永遠に理解できない謎だからこそ、それを目指す次のマテーム(図式)をつくった。
ファルス(Φ)は享楽(a)を求めて、即ちaそのもので女性を目指して、男の主体は運動する。そうラカンは説いた。男が向かう対象はaである筈なのに、事実はそうではなく、男にとってのaは遊びと科学、それに金と権力でしかない。aに女性は含まれていない。もし含まれているとすれば、それは遊びである。
現実はどこにあるのか

趣味や道楽、スポーツに夢中になって、時を忘れて興ずる。ゴルフ三昧や酒に興じて我を忘れ、人生を忘れ、苦労を忘れ、すべてを忘れて生きる。それが現実界で働く男達に出来る唯一の幸せで、a・女性に向かう事は、限られた人達にしか出来ないことになってしまった。
それはどうしてか。答は単純である。情報の氾濫である。遊びとスポーツや娯楽の氾濫が、人の心と体を休ませようとしないから、強迫的に人はレジャー、スポーツ、アミューズメントへとけしかけられるように、動き回って、お金と体力を消費し、消耗するのである。
疲弊していく人間は、文明と科学の中で、情報に翻弄されながら、文明の坩堝の中で振り回されながら、幻惑され、自分を見失って、実態無き二次元世界をアニメと共に生きているのである。現実はどこにあるのか。それは健康と長生きという生命体にしか宿ってない。肉体のみが現実である。
生き甲斐とは

健康で100年生きたから、それが何なのだ。それを人として生きた幸せといえるのか。年金や老後の心配をすることが生きることで、100年長生きするために人生はあるのか。
生き甲斐という言葉がある。甲斐とは何か。「してみるだけの値打ち」と辞書にあるが、してもいない人生を生きることの値打ちを、どうやって人は知り得ることが出来るのか。その手立てはない。生きたこともなく、生まれ変わって輪廻してきた結果にしても前世を憶えていないから、比較しようがないから、値打ちを決められない。
生き甲斐という言葉は、どこから出て来たのだろう。甲斐をテーマにするということは、そもそも人生は生きるに値しない事を前提とし、是認していることになる。初めから人生に生き甲斐があるなら、甲斐のあるなしを問いかける必要がないからである。
対象に意味をつけたのは、Φの仕業である。何を使ってそれが可能なのか。それは言語である。縄文時代に生き甲斐はなかったが、文化はあった。家族と人のつながりが、家族と社会をつくり、集団の部族をつくり、道具とコミュニケーションが伝播され広がっていった。そこから、父が生まれ、掟がつくられ、集団が維持された。そこに「長」が生まれ、ファルスとなった。
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